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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「交際相手が既婚者だけど結婚したい」みたいなメールは
たまに頂くんですが、これ別に結婚しても良いんじゃ
ないんですかね?何か罪悪感的なものがあって、
それを払拭するためにスピリチュアル的なものに手を
出してもあまり意味が無いです。

罪悪感に苛まれている自己というものがあって、
その自己が何かしらの方法で罪悪感を払拭しようと
するのではなく、意識の中にというか、意識が写すものに
それら(自己とかの概念)があるという事であります。

意識が無ければ罪悪感も交際相手も自己も出てこない
ですよね、つまりルビンの壺で言えば壺が無いと顔が
出てこないのと同じです。
ですから罪悪感でも何でも別にどうにかする必要は無く、
普通に交際相手に結婚の意志があるかどうか聞けば
良いだけの話です。

なんだそりゃと思うかもしれませんがルビンの壺で
壺と顔面が常にセットであるのと同じで、意識とそれ以外
は常にセットなのですから意識を利用するのではなく、
意識と共に在る事を認識できれば良いと思います。

自己が行動するのではなく、意識が行動している自己を
写すのであります。
逆に言えば自己が行動していると感じる時には意識も
同時に体現されています。

要はリアルなものというのは実際は何一つありません。
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「ある人物に復讐したいけどどうすべきか?」的な
メールを頂きました、ありがとうございます。

これは別にどっちでも良いんじゃないですかね。
というか話を根本的なものにすると、
人生にはこういった選択を迫られる場面が多々あって
それに対して少しでも良い方向を選ぶ必殺技みたいのを
スピリチュアルとかに期待している場合が多いと
思うんですけど、以前の記事で書いたように意識の中に
人生と呼ばれている概念があるわけで、
人生を生きている、つまり選択を強いられていると
感じている自己も意識に現れた現象に過ぎないわけで
あります。

なのでどっちでも良いと言えばどっちでも良いんですよ。

話が少し逸れますが高い集中力で優れたパフォーマンスを
発揮している時は大体選択はどうするとか何だとかは
吹っ飛んで、まさに今に在るというか意識の現れとして
天才的なパフォーマンスを発揮します。
極端な例えですが足をサメとかワニに喰われているのに
本人は平然とメシ食ってるとかスマホ弄ってるとかも
驚異的なパフォーマンスであります。
これは天才では無く狂気と言われると思いますが、
何を言いたいかというと天才と狂気は紙一重というのは
こういう事だと思うんですよね。

自己が意識を持っているのではなく、意識の一部として
自己という概念があります。
なので概念に過ぎない自己に選択権はあるように見えて
実はありません。

つまり選択の結果がどうあれそれは意識の体現としての
ベストパフォーマンスです。言い換えれば人生に選択が
あるのではなく、選択(意識)に人生があるとも
言えます。

カッコつけて言えば常に天才と狂気の狭間に在るべきで
あります。
前回の記事はスピリチュアル的な知識から得た神秘体験
みたいのはあまり意味が無い、という趣旨でしたが
今回は続きと補足です。

スピリチュアルぽく言うと知識というのは結局は分離
なので、あまりそちらに偏りすぎるといわゆる
今に在るとか何だから離れていく事になります。

要はまずやってみて、それから知識を得れば、
それは今に在る状態から得た知識、言い換えれば
潜在意識から送られたものとも言えるのですが、
まず知識から入ってしまうとその知識はそれを公開した
人の自我、つまり分離されてからのモノを見ることに
なるのでビミョーに本質からズレるわけです。

ではまずやってみろと言っても何をやるのか?
これは自我が入ってこない単純作業か、
あるいは重労働をするかのどちらかをお勧めします。
要は想念(?)みたいのが入ってこないリラックスした
状態、夢中になっている状態、もしくは逆に身の危険を
感じるレベルの超緊張
です。

例えば私は去年の今頃にベンチプレス150キロを達成し、
脳筋を証明しましたが、MAX重量に挑戦してフンガーと
挙げる瞬間には当然死ぬほどクソ重いのでベンチプレスの
フォームだの意識するポイントだのは頭から吹っ飛んで
います。

しかしそれでもクソ重い重量に挑戦してほぼ強制的に
今に在る状態になると、挙げた後に微妙な修正点は
感じ取れるわけで、これが分離していない状態の純粋な
知識であります。

これを「ベンチプレスを挙げるテクニックを公開!」とか
やると、どうしても他の人にわかりやすくしなければ
ならないとか、有料だからもう少し詳しくしなきゃとか
なるわけで、そこに分離が入るわけです。

つまり当ブログも含めて公開されているあらゆる知識は
スピリチュアルでも何でも必ず分離を経たものに
なるので、そこからの知識は絶対に片手落ちになって
いるという認識を持つのが肝要です。

色々な知識を求めずに、ある瞬間だけは一切の想念も
思考も無い状態を思い出すだけでも良いです。
それだけで確実に個人というものは"知覚されなく"
なっていきます。
「神秘体験をした後に鬱になった」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

これはもう普通に病院に行った方が良いのではないかと
思われます。メールくれた方も「メンタルクリニックに
行っても良いのか?」みたいに書かれているんですが、
良い悪いよりも健康を優先して頂きたいと思います。

話が逸れますけど神秘体験てのは厄介なものでも
あります。そもそもスピリチュアル的な知識とか
知る前って神秘体験なんてしましたか?
って話なんで
すよ。
矛盾しているようですがちょっとした偶然でも神秘体験
とか引き寄せとかに結びつけてしまう傾向になるのは
危険です。

要は自我が獲得した見聞を勝手に昇華させてこれは
神秘体験とか引き寄せたとか感じるわけですね、
これは完全に拗らせたパターンで引き寄せ云々とはまた
違います。

なので神秘体験絡みでお悩み(?)の方は果たして自分が
スピリチュアルを知る前に、仮にそれを体験していたら
神秘体験と感じるかどうか?
と自問すると良いですね。

逆から言うと例えばスピリチュアルを知った後に
これこれこういう神秘体験が出来るのだろうか、あるいは
出来なくてはならない、みたいに取るのも自我の中で
スピリチュアルが過度に肥大しているわけで、
それ自体に意味はありません。

童貞を拗らせると色々面倒くさいのと同じで、
スピリチュアルも拗らせるのは避けましょう。
夢の中で夢だと気付いたら云々とか世界は幻だから
何やかんやというのは、実際は非常に簡単なものです。

前の記事でも書きましたが基本的に何かしらを知覚
しないと自我のストーリーみたいなのは始まらないので、
とりあえず私というものを知覚し、更に他者を知覚し、
そこからの関係性も知覚し、というように話が展開して
いきます。

という事は逆説的に言えば知覚が発動(?)しない範囲
ならばそれはまさに自他が存在しない意識として在る、
という事になります。

簡単な例だと顔洗ったり歯磨いたりするのは
歯が知覚過敏ですとかは置いといて、やってる時は
殆ど知覚していないと思うんですよね。
つまり実は歯磨いたり顔洗ってる者は"いない"んですよ、
知覚していないからです。

なのであらゆるものが歯磨きレベルになれば
自ずと知覚する自己も居ない、という話になります。

本当に歯を磨いたり顔を洗ったりしている自己は
存在しているのか?と追求すると、全ては知覚の範囲内で
起こっている事をああでもないこうでもないと
言っているだけで、実は最初から何もする必要は
無かったという事になります。

これを知るために瞑想とかその他色々があると思うん
ですよね。

瞑想をしているのに云々とか、何々をしているのに云々
とかいうのは結構ありますが、これはその何々の方に
知覚がいっているのではと感じます。
瞑想そのものを知覚するのではなく、瞑想している自己も
知覚の範囲内である事を知るべきであります。

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