忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
大きな選択に向かい合った場合、どちらを選ぶのが
良いのか?
的なメールは度々頂きますが、
これはどっちを選んでも良いという事になります。

そもそも我々は日常生活も例えば靴下はどっちから
履くかとか、先に顔を洗うか歯を磨くかとか選択を
しているわけですが、これをわざわざ選択しているとか
思っている人は少ないと思います。

つまり選択がいきなり降臨するわけではなく、
事象に選択という属性(?)を与えると
"選択を迫られている私"が出てくるわけですね。

なのでこの"選択を迫られている私"は事象の一部で
あってそれ以上でもそれ以下でも無いです。
そして事象から離れている時点で、その選択に
影響を及ぼされる事もありません。

ですから仮に今の世界情勢で激安ウクライナ旅行と
国内温泉旅行を選べと言われて前者を選んでも
別に何の問題もありません。

その選択に"意味"を持たせているのは"選択を迫られている
私"という事象ですから、事象から離れている時点で
何者にも脅かされる事は無いのであります。
PR
「この世界は自分が見ている夢で本当は自分一人しか
いなくて、孤独に夢を延々と見続けているだけでは
なかろうか」
的なメールを頂きました、
ありがとうございます。

まあ夢を見ているようなもんだというのはその通り
ですが、自分一人というのが微妙に違います。
これは寝ている時が実は本体、と考えれば良いと
思います。

寝ている時というのは純粋な意識であって、そこに
他のものは存在しません。

で、起きると自己とか他人とかの概念が現れて何やかんや
始まるわけですが、これは全て意識に現れる概念なので
孤独に夢を見続けている自己というものも、
やはり概念であります。

言い換えれば眼球は眼球に映るものだけを見ている
わけで、眼球そのものは見ることは出来ません。

そして眼球に映るものは眼球が無ければ見ることは
出来ませんが、だからといって映ったものが眼球では
無い
のと同じです。

眼球に孤独だとか夢を見続けているとかが映ったと
しても、それによって眼球が破裂したりする事は無く、
それらは眼球の敵では無いわけですね。

ですから実は何かに脅かされるという事は無いので
あります、眼球に映るものが眼球に何の被害も与えない
のと同じで、最初から敵が存在しない、文字通りの
"無敵"がデフォルトです。
「認識が変わるなり何なりの経験をするのは若い頃の方が
良かったとかありますか?」
みたいなメールをいただき
ました、ありがとうございます。

これはあんまり年齢とか関係無いですね、
映画のスクリーンに映っているのが若い役者だろうが
爺さんだろうがスクリーンにはあまり意味が無いのと
同じですね。

ゲームでもキャラクター達の動きや声は全てゲームの
プログラムの中に入っているわけで、登場人物たちの
会話も経験も全てゲームの中での自作自演とも言えます。

なので何かを経験するというイベントも、結局は
ゲームの中のものであり、経験をする個人というのは
何処にも居ません。

言い方を変えれば境界が無いという事ですね。
ゲーム機はプログラムの上で自分のキャラとその他大勢、
それ以外のものという感じに境界を設けて常に分けて
いますが、境界が無くなれば全て同じものになります。

逆に言えば輪郭が無ければ物の形がわからないのと
同じで、境界を設けるからこそ意識は現れるという事です
、つまり全てが意識の輪郭です。

そしてこのように映画のスクリーンだのゲーム機だのと
いつもおなじような屁理屈を述べる当ブログも、
やはり意識の輪郭です。

このブログがネットに現れる約11年前からもブログという
輪郭を現す前の意識は常にそこに在ったのであり、
誰かが産まれる前も、そして死んでからも意識は
常に在り続ける
のであります。

なのでこのブログは実は人類誕生の前から存在したとも
言えるんですよ、すごいですね(?)
自由意志がどうのこうの、と当ブログではたまに書いて
ますが、自由意志が無い云々だと「では私が今感じて
いる不安や恐怖もなる様になるしか無いのか?」
みたいな
メールをたまに頂きますが、これは以前も書いたかも
しれませんが実は既に質問の中に答えが現れているので
あります。

どういう事かというと「不安や恐怖を感じる」という事は
それらを押さえ込めないという事ですよね?
であるならばその時点で自由な意志は無いのであります。

何故なら意志が自由ならば意志の力で押さえ込めるはず
だからです。にも関わらず押さえ込めないという事は
元から自由な意志が無いから、という事になります。

つまりこれがわかれば自由意志というものも
単なる概念であり、自由意志と言う名の束縛から
離れる事が出来るわけで、それこそが本当の自由で
あります。
認識が変わる、以前と違うものになるとは如何なるもの
でしょうか。スピリチュアル系の書籍等では何かしら
ショッキングな事があってからとか、ある日突然とか、
恩寵のような形でそれが与えられる的な事が書かれている
ことが多いようであります。

いきなり自分は居なかったとか神と一体化したとか
宇宙と合体しましたとかブッ飛んだ事はともかく、
現在のコロナ騒ぎ程度なら簡単に認識を変える事は
可能です。

例えば最近、ハムスターが感染源かもしれないという事で
香港で大量に殺処分されてしまいましたが、
既に哺乳類全般に感染が確認されている以上、
ペットとして飼われている犬や猫から人間に感染するのも
時間の問題というか、もうそうなっている可能性が高い
です。

ではそれが確定したとして果たして愛犬家や愛猫家の
皆さんは涙ながらにペットに毒エサを食べさせるで
しょうか、恐らく絶対にやらないと思います。

じゃあどうするか、仮にある愛犬家が間違い無く
ペットから自分に感染したと思われるケースでも職場に
コロナとは言わず、検査にも行かず、「ちょっと風邪気味
で・・」
で済ませるはずです。

つまりこの方にとってコロナは単なる風邪になったので
あります。ウイルスを自らと分離させ恐れる対象では
なく、日常生活の中の風邪ひいたという一つの現象として
受け入れ、一体化したのであります。

認識が変わるというのは強引に言えばこれに近いです。
分離ではなく受け入れる、自らの中で起こる現象として、
意識の現れの一部として受け入れるという事ですね。

なので私は割りとマジで犬や猫からヒトに感染した例が
はやく出ないかなとか思っています。
そんでもって岸田総理が「ペットを飼っている皆さんには
大変同情致しますが命を守る為に殺処分も検討して頂いて
云々」
とか言い出せば、すごい反感を買いつつも騒動は
終息へ向かうでしょう。
少なくともペットを飼っている人達はほぼ全員コロナを
単なる風邪と認識し出すでしょうから。

カレンダー

08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 4 5 6
7 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]