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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「スピリチュアル的に言うと姓や名前とは
その人を縛るものではないか、つまり最近において
夫婦別姓が認められつつある事は縛りが無くなる
良い事ではなかろうか」
的なメールを頂きました、
ありがとうございます。

どうなんでしょうかねえ、正直あんまりスピリチュアル
関係無い気もするんですが、確かに人の名前に限らず
我々は何かを判別する際に名前で判断しますから
例えば怒りの感情も「怒り」という名前を付けた段階で
初めて認識するので、怒りが先に来るのではなく
感情が先に来て、それからそれに最も適した名前を
引っ張り出して名付けていると言えます。

なので名前を無くすというのは確かにスピリチュアル的に
言えば全てとの一体という意味では意義があると
思います。

話を夫婦別姓に戻すとですね、個人的な話をすると
私の苗字って田中とか山田レベルのメチャクチャ簡単な
漢字なんですよ。対して嫁さんの旧姓は難しい漢字
使うんで、「苗字書くの簡単になった事だけは結婚して
良かったと思ってる」
と言われた事があって、
これを聞いてからちょっと閃いたんですが、これからは
夫婦別姓ならぬ夫婦創姓、つまり夫婦になったら二人で
名乗る姓を新たに決めれば良いと思うんですよ。

佐藤とか渡辺とかありふれた姓を名乗るのはつまんない
ので私たち今日から西園寺になりますとか、
旦那の苗字が煉獄で漢字がクソ難しいので私たち今日から
丸山にしますとか、二人で気に入った苗字を名乗れる
ようにすれば良いんじゃないかと思います。

もう今の日本人はいわゆる"家"の意識とか無いですしね。
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「昨日の記事で実は存在しない、存在しないものを探して
いるというのがイマイチよくわからない、イメージも
出来ない」
という感じのメールを頂きました、
ありがとうございます。

イメージ的にはですね、例えば英語でリンゴって
アップルじゃないですか。でもあいつら(外人)は
「アップル」なんて発音してませんよね。

アを強調してあとはプーとかポーとか流すような感じで
発音するんでアポーかアプーに聞こえるわけです。

リンゴが"アップル"だと思っていると外人が言ってる
"Apple"は聞き取れないんですよ。何故ならアップルと
言っているはずだ、という錯覚があるからです。

つまり強引にスピリチュアルに結び付けると
「私は存在している」という錯覚が「リンゴはアップルと
発音するはずだ」
というもので、しかしながら実際は
アップルという発音は存在せず、アポーかアプーなんで
すよ。つまり存在しないものを存在していると思って
探してしまうと、いつまでも外人の言う"Apple"
聞き取れない、イメージ的にはこれに近いです(?)

「英語の教科書にアップルと書いてあったのだから
アップルという発音は存在しているはずだ」
という
思い込みから全て始まっているという事ですね。
ですからその取っ掛かりの部分、「私は存在している
はずだ」という所を疑ってみる事であります。







余談ですが日本人が英語苦手なのはアップルに限らず
外人が絶対に発音しない音が教科書に書いてあるからじゃないかと思っています。単語にせよ会話にせよ存在しない
発音で覚えてしまう為、外人がそれら(アップルとかの
教科書発音)を早口で言ってるんじゃないかと
錯覚するんですよ。

実際は教科書発音と全然違う事を言ってるに近いレベル
なんで、この辺が日本人が英語を聞き取れない最大の要因
ではなかろうかと勝手に思っています。
当ブログでも自由意志があるとか無いとかだいぶ前の
記事でも書いた記憶がありますが、そもそも自由意志とは
その意志を操る主体が無ければなりません。

例えば何らかのネガティブな感情があるとして、
それをポジティブなものに変える、あるいは気にしない
とか色々ありますが、そもそも何かの弾みでネガティブな
感情が出てくるという時点で意志を自由に操っていない
ですし、更にそれを何とかしようとしてもなかなか
ポジティブにならない、という事はやはり意志を自由に
操る事が出来ていないので自由意志は無いという事に
なります。

更に話を進めると、そもそも何かの弾みで現れた
ネガティブに感じるものというのは、まさに文字通り
弾みで出てきたものですから本来は別に居ても居なくても
どうでも良いものなんですよね。
しかしそれを何とかしようというのは、そのネガティブに
影響を受けるであろう私が在ると錯覚しているからで
あります。

つまり自由意志がある無い以前に、存在しないものを
常に探してしまっているのですね。
スピリチュアル系の話だとどうしても真理を見つけました
とか高次元の存在を感じましたとかの言い回しが
多いので、探した果てに何かが見つかると思ってしまうの
ですが、そうではなくて探しても見つからない、
元から無いという事なんですね。

なので自由意志があるとか無いというのも、
そもそも意志を持って何かをする主体が実は存在しない
わけで、こうして主体と客体は統一されるのであります。
この前の記事で親ガチャに限らず国ガチャや性別ガチャも
あるのでいちいち気にしてたらしょうがないみたいな事を
書きましたが、もっと言えばガチャを回しているという
感覚が錯覚
であります。

例えば朝起きてどっちの足から先に踏み出すかとかも
ガチャと言えばガチャです。

で、右足から出したら特に何も無く、左から出したら
滑ってコケて朝からツイてねーな、とか思うかもしれま
せんが、これは起床ガチャの結果として「今日はツイて
ない私」という感覚が起こるわけで、つまり我々は
ガチャを回しているのではなく、ガチャによって私という
感覚が生まれている、ガチャが先に存在する
のです。

なのでガチャを回してハズレを引いて苦しむ私、
というのも存在しないわけで、そもそもガチャを回す私が
存在しないなら、では私とは何か?となるわけですね。
最近、親ガチャなる言葉があるそうですが
親に限らず国ガチャや性別ガチャもあるわけで、
いちいちガチャの結果に一喜一憂してたら切りが
ありません。

今までの良い事も悪い事も全てガチャの結果なので、
悪い事ばかりに意識を向ければ当然ガチャに失敗した感
だけが強くなります。

私の場合、ガキの頃は確かに経済的には親ガチャで
当たりを引いたかもしれませんが、私のオヤジは
父親としてはハッキリ言ってクソなので、そういう点では
大ハズレも良い所でした。冗談抜きで厨房の頃は
本気でブッ殺してやろうとか思う事も多々ありましたし。


しかしだからこそガキの頃に半分グレたような生活を
送りながらも、今も付き合いのある悪友・親友が出来た
とも言えます。
こうなるとガチャそのものには成功も失敗も無いという
事になります。

つまり現状が悪いとか不幸だという人は、語弊のある
言い方ですが悪くなりたいからなっている、
不幸になりたいからなっている、という事になります。

ですから何だかんだ言っても誰もが経験したい事を
経験し、求めているものが与えられている
のであります。













まあ私も十年後ぐらいに娘から「ウチは親ガチャ超ハズレ引いた!」とか言われないように頑張ります。

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