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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「自分は海だ源泉だエゴの感情を気にするなと言っても気持ちが焦ります」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

何か気になる事がある場合は、焦るのもわかりますが
焦りとか怒りとかの感情は何故感情として成立(?)するのかという事から
アプローチすべきであります。

怒りの感情を例に挙げると、そもそも怒りとは何となく胸がムカムカするとか、
腹の辺りが熱くなるとか、あるいは昔あった嫌な事がありありと思い出されるとか
色々な反応があると思いますが、逆説的に言えば
それらの反応が怒るためには必要なんですね。

という事は怒りとか焦りとかその他色々な感情は身体の反応、およびイメージを
必要とするわけです。つまり怒るため、焦るために反応を引っ張り出してくるわけですね。

という事は反応が起こってもそれを採用しなければ良い、となります。

文章で書くと難しいかもしれませんが、例えば仮に芝居をやっていて
悲しい場面で涙を流してくれと言われて、宝くじに当たった所とか
風俗で遊んでる所とかをイメージする人はあまり居ないと思います。

殆どの人が身内の葬式とか、そういった”悲しい”を引っ張り出すイメージを探すはずです。
普段の生活で怒ったり焦ったりも過程としては同じ事をやってるんですよ、
ただあまりにそれが高速で行われるので、自分自身が反応をわざわざ探して来ている、
という事に気付けないわけです。

で、少し話が飛びますが「自分が存在する」感覚というのも、やはり反応を探してきた
結果であります。一切の反応に任せない事が、無為自然な状態であります。

しかし勘違いして欲しくないのは「何かを成し遂げる」ために反応しないのではありません、
それでは「何かを成し遂げるにために、反応しないこと」に反応している状態に
なってしまいます。

「勝つために無心になる」は”勝つ”事に対して無心という反応をしているので、
実は無心ではありません、邪念ありまくりです。

そもそも”勝つ”とは普通は自分が勝つため、または自分が都合の良いようにする事ですから、
反応の集合体(?)として現れている自分が前提となっている時点でおかしいでのあります。

自分とは単なる反応を引っ張り出して作り上げた偽りの存在である、という事を知れば
実は一度も世界と分離せずに、ずっと共に在ったことに気付くでしょう。

そしてその瞬間、文字通りあなたは死にます。
偽りの自己は冗談抜きで本当に死ぬのであります。
同時に偽りの自己が抱えてきた、わざわざ反応を引っ張り出してまで作っていた
悩みも苦しみも死にます。

おまえはもう死んでいるっていうのは、マジだったのです。
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前回ネカマの達人になってしまったネカマ氏から、三度メールを頂きました。
ありがとうございます、以下は抜粋です。

「ネカマとは、私と相手の思考の中にしか存在しないものである」

「つまり内部空間とも呼べる概念の中に”生きている”存在とも言える」

「あらゆるものはこの内部空間に存在しているように感じるだけで、
それだけである」


「思考とは、内部空間に対してのリアクションに過ぎない。
スピリチュアルを頭で考えても理解出来ない理由がわかりました。
頭で考えるのは、犬が自分の尻尾を追い掛け回しているのと同じ」


「私は既に数年前に両親を亡くしておりますが、私も、両親も、
内部空間に存在しているように見えているだけでした。
存在しているように見えるという事は、裏を返せば私はいつだって
両親と一緒だったという事です。

私は両親に会えたんです。ずっと会いたいと思っていた両親は、
いつも居てくれたんです」

「両親に会えたんです」からのくだりに
私は感動して泣きました、ネカマのメールなのに。

「内部空間は、物語を作らなければ維持できない。
思考は内部空間に対して殆ど自動的にリアクションを続けるので、
多くの人は物語の中で架空の自己を生きている、まさにネカマのように。
それに気付いて物語を捨てることが、ゲームから降りることだと思います。
そしてあえて物語を維持するのがネカマなのです」


という結局ネカマかよ、という内容なのですが
思考は内部空間に対してのリアクションであり、ほぼ自動的に物語を
作り続ける、という表現は言い得て妙だと思います。





というわけで私も何だかネカマがやりたくなってきたので、
練習と称して嫁さんとLINEで女性っぽく会話してみました。

しかしながら、私の「結構女性っぽく会話出来てない?」に対し、
「おまえは馬鹿か?」と極めて醒めた反応が返って来たので、
ネカマへの道は険しそうであります。
「自由意志が無い事を知って、今までの行動に責任を持たなくて良いんだとわかり、
とても気が楽になったけど、まだ自由意志が無い事に自信を持てない」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

自由意志が無い事に確証が持てない、と言っても
そのように思う事が既に自由意志が無い事の証明であります。

何故なら自由意志が無くて云々、というのは「自由意志は無いよ!」という
文章なり何なりを読んで出てきた刺激に過ぎないからです。

肝心なのは刺激に対してどのような反応を起こすのか、を知る事であります。
以前の記事と被りますけど、例えば月10万円で生活している人に50万円やるといったら
恐らく50万円に対しての刺激は喜びとか幸せとかでしょう。

しかし同じ人に50兆円やるといったら、それに対しての刺激は困惑とか
現実味が無さ過ぎて逆に無反応とかでしょう。

自由意志があるならこの反応も選べるはずであります。
しかし殆ど自動的に反応が出てくるという事は、刺激の度合いで反応は決定してしまう
という事です。

問題はこの勝手に出てくる反応を「自己だ」と決めてしまう事であります。
研ナオコの写真を見て思わず鼻に視線を移しただけで「おまえは研ナオコが
好みなんだな」
と言われてハイそうですと言うでしょうか、
反応を「自己だ」と決めてしまうのは、そこで「ハイそうです」と言ってしまうのと同じです。

恐ろしい事に殆どの人が反応を自己であると定義してしまうので、
「私は研ナオコが好みである」「研ナオコ大好き」として過ごしてしまうのであります。
そしてそれを疑うことすらしない、これは恐るべき事ではないでしょうか。

刺激に対する反応の積み重ねで枠が作られていき、自己が定義され、
そしてその枠内だけでしか動けないのに、あたかも自由な意志で動いているように
錯覚してしまっているのです。

ですから自由意志が無いとは枠を知る事であり、その為には以前の記事にも書いたように
抵抗を感じる事が必要なのです。

枠が広がれば広がるほど、つまり自由意志が無いとわかればわかるほど、逆に”自由”
なっていきます。コップの中の水は自由に動いているように見えても所詮はコップの形にしか
なれません、しかし広いプールに水を入れれば様々な形になれます。

前述した例えだと50万円で喜ぶ人は、50万円程度しか自分のお金だと
思えないわけで、これはつまりコップの中の水です。
しかし広いプールの中の水なら50兆円でも受け入れる事が出来る、
だったら”自由”になって50兆円受けれた方が良いでしょう。

自由意志が無い、という刺激に対しネガティブな反応がある、という事は
それだけ狭い枠内に居る、あるいは居たい、という事ですね。
狭い方が自分の意志で操れるように感じるからです。

しかし研ナオコ以外の女性もどんどんウェルカムな人は、
コップから大海へと踏み出すべきであります。
昨日珍しく一日中忙しくて、まともにニュースも見れなかったんですが、
何とイギリスがEUを離脱とか言い出してるじゃないですか。
それに伴い一気に円高・株安となって日本経済大ピンチであります。

安倍総理がサミットで「リーマンショック前みたいにヤバイよ!」って発言は正直、
あまり深く考えずにテキトーに言ったのかもしれませんが、
何故か予言的中で安倍すげえ!みたいな感じになってしまいました。
安倍さんて総理に返り咲いてから何か変な悪運を持ってますよね。

円高は単純に円の価値が上がるので、無駄にお金を貯めこんでいる私のクソオヤジのような
老害連中の資産価値が上がってしまい、ますます貯め込む傾向が強くなってしまいますね。
これでは若者にお金を回すことなど夢のまた夢です。

こんなものはバカバカお金を刷って円の価値を下げてしまえば良いと思います。
ドラゴンボールでも初期の頃はベジータの戦闘力が確か18000で、
フリーザが変身前で530000だったんですよ。

これだとフリーザ半端ねえと思いますが、セルや魔人ブウが出てくればフリーザも
雑魚キャラなんで、18000も530000も変わんねーよとなります。
戦闘力の価値が下がるわけですね。

つまりお金を刷りまくって円の価値を下げる事が格差解消に繋がっていくと思うんですよ、
価値が低いなら投資に回したり何か買うかって事になるでしょうし。
しかしながら金持ちから奪え貧乏人に配れという発想しか出てこないのは不思議であります。

日本人に多いお金儲けは悪でお金を貯めるのは正しいという価値観が元凶の気もしますけど、
特に使う気も無いお金を貯めこんで、自分は勝ち組だの裕福だの言うのは結構ですが、
貯め込むぐらいなら家族に何か買ってやるとか、両親を温泉旅行に連れて行ってやるとか、
周りの人を笑顔にも出来ずに歳だけ取ってこの世からオサラバしてそれで良いのかと思います。

いきなりスピリチュアルな話になりますが、そもそもゲームを楽しむ為にわざわざ分離して
一人のキャラになってるのに、お金を愛でてるだけで何が楽しいんでしょうか。
ドラクエで最初の城の周りから殆ど動かずスライムだけシコシコ倒してゴールド貯めて、
100000Gも貯めたぜってのがそんなに楽しいか?それで良いのかよ?って事ですね。







というわけで無駄に貯め込んでいる私のオヤジは、さっさとくたばって遺産をよこせこの野郎
「自分が居ないと思い、ただそのままに在ることが出来ないんだけど」的な
メールを頂きました。ありがとうございます。

「自分が居ないと思う」のではなく、本当に居ないのですよ。
そんなのデキッコナイスと思う人は難しく考え過ぎです。
という事で今回は短めにシンプルに書きましょう。

我々が朝起きて一番最初にやることは何かと言ったら、「気付く」ことなんですよ。
「自分」だと思ってるものに気付いているはずです。

気付きは時間も空間も超えた所に在り続けています。
例えば目覚ましが鳴ったら目覚ましの音に「気付き」、ほぼ同時に「自分だと感じるもの」に
気付いて起きるわけですね。

つまり気付きが本体であって、その他のものは全て気付かれるものであります。
気付きは生きる事も無いし、死ぬ事も無い。そして時間が経過する事もありません。

気付きしか無い、と知れば起きている時も夢を見ている時も、
違うものは何一つ無いのです。

気付きを通して世界を観るのではなく、世界が気付きそのものなのであります。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

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