忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
最近珍しく忙しかったのですが、ヒマになったのでネットを徘徊してたら
何かヴァイオリン弾くオバハンが躾として子供のゲーム機ぶっ壊したとかで
ちょっとした騒ぎになってたみたいですね。

で、パパイヤ鈴木みたいなオッサンが「綺麗な音を弾ける人は良い人、
だからゲーム機破壊オバハンは悪い人じゃないよ」みたいな
援護射撃だかフレンドリーファイアだかわからない事を言い出して、
またもや騒ぎになってるそうじゃありませんか。

まあ音楽家からすれば良い音を出せるってのは、何よりも優先される絶対的に
正しい事ですから、良い音を出せる=悪い人間ではないというのも
成り立つと言えば成り立つ気もしますが、やっぱりどっかしらズレてる感はありますよね。

以前も書いた気がしますが、人間のキャラってゲームと同じである程度決まっているので、
一つの分野に突出した才能を発揮する人でも、人間性はトンデモないクズだったりとかは
特に珍しい事でもないですね。

が、この「キャラが決まっている」というのは大いに利用できます。

例えば「世界は幻だ、他人は幻想だ、何も起きていないウンタラカンタラ」
唱えている人はスピ系には結構多いと思うんですが、これって何かしら自分にとって
気に入らない事が起きた時ほど唱えだす人が多いと思うんですね。

つまり私の嫁さんが”ゴキブリを見ると発狂して、何が何でもゴキブリを追い詰めて
ぶっ殺す”のと同じで、”気に入らない事があると落ち着くまでスピリチュアルっぽい
まじないを唱える”てのはそれぞれのキャラを現しているだけなんですよ。

という事は何かしら気に入らない事が起きた時にそれを”ひたすら感じる”だけで
「このような役割(キャラクター)なのだ」とわかるわけですね。

そして多くの人はそのキャラの方を自分の主体だと思っているわけであります。
そしてキャラにとって都合の良い解釈なり何なりを期待するから、
堂々巡りになるのです。

起きていることは、本当にただ起きているだけなのに、キャラを通して起きている事を
解釈する事で「ただ起きている」から離れてしまいます。
なので気に入らない事が起きたら、ひたすら感じる事で今まで主体だと思っていた
キャラクターが、実は存在しなかった事を知るのです。

今まで不快だったのは、起きている事が不快だったのではなく、流れをせき止めている事が
不快の原因だったのであります。

流れをせき止めるキャラが居なくなるという事は、流れのままに在るというより
最初から実は流れそのものだったという事ですね。
つまり波ではなく海だった、という事です。











まあ私も偉そうに書いてますけど、この前嫁さんから「ゲームばっかりやってると
プレステぶっ壊す」と脅迫されて大変に不快なんですが、どうしたら良いんでしょうか。
PR
私の知人がギャーギャー喚いてたんで何事かと思えば、ここ数日
日経平均株価が爆下げしているみたいですね。

これも神の国日本が森喜朗古墳に2500億円程度も出さないから・・じゃなくて、
以前も同じ事書いたと思うんですけど、何かを予測するっつーのは
基本的に無理だと思うんですよ。

マーケットが上がったり下がったりってのは、早い話が常にマーケットは
上がる銘柄と下がる銘柄を抽選しているって事ですよね。

で、上げた銘柄に当たればマーケット最高や!だし、
下げた銘柄に当たればマーケット最低や!ってなるわけです。

最高や!とか最低や!ってのはどうでも良い感情なわけで、
それ以前にどのような抽選に当たっても良いようにしておいた方が良いと思います。

出来ることは抽選に参加しているって事だけで、それだけ認識していれば良いわけで、
それ以外の事に気が散ると、前述した最高や!とか最低や!の感情に惑わされてしまいます。

株式市場だと、どうしてもああだこうだ考える時間があるので難しいですが、
もっと単純化すると、普通に道歩いてる時も、出来る事は常に抽選に参加してるって事です。

どういう事かと言いますと、その辺を歩いてて前から車が来たとしますよね、
この時点で車が前から走って来るっていう抽選に当たったわけですよ。
ここでやる事といったら普通は横に退きますよね、こんな抽選に当たって最低や!とか
ブツブツ言ってたら車に轢かれますから。

でも殆どの人はこれをやってしまっているんですよ。
抽選結果に対し、これは嫌だとかこれはOKとか、
相当に文句言ってる事が多いと思います。

我々は常に抽選の連続体に居る、というかそれ自身が我々のようなものです。
しかし、抽選結果に対し文句を言っている奴が居るように感じ、そっちの方を自己だと
思っているから、いつまでもあれは最高や、これは最低や、となるわけです。

白と黒のくじ引きの抽選結果を常に白にする事を目指すのではなく、
抽選に従う事
であります。これは別段難しい事ではなく、車が前から来たら横に退くと
同じで、本当は常に出来ている事なんですよ。

何故、”歩いていたら車が前から来た”という抽選に当たった場合には特に文句を言わずに
従うのに、それ以外の事では文句を言うのか、それを見つめ直せば何となく答えは
わかると思います。
「何か色々やったけど、許すとか愛すとか疲れた」というメールを頂きました。

その方は外側はコントロール出来ないし、もしかしたら内面もコントロール出来ないのでは
なかろうか、私に出来る事は何も無い、と感じたそうです。

これは全くその通りで、私に出来る事は特にありません。

重要なのはその方が「私に出来る事は何も無い」に続いて「ポジティブな感情の時は
何もしないのに、ネガティブに対しては色々対処しようとする私も変だと思う」

自分で殆ど答えを書いている事ですね。

これは確かに妙な話で、ポジティブとネガティブを勝手に判断して
勝手に色々やり出すのはおかしな話です。

そもそもポジティブだ何だとかは、立場によって全く変わります。
自民党支持者なら自民党が選挙で大勝すれば「自民党最高や!」となるでしょうが、
民主党支持者なら面白くないでしょうし、その逆も然りであります。

つまりそれらは意識というバックグラウンドに現れるパターン的なものであって、
それ以上でもそれ以外でも無いのですよ。

そのパターンが出るのは、決まっているのであります。
例えばマリオがカメに激突したら死ぬのは、必ず出るパターンであって、
別に良くも悪くも無いのです。

マリオの立場ならカメに激突するのはネガティブですが、カメからしたら
ポジティブです。肝心なのはそれらを創造するバックグラウンドだけが
真に存在するものであり、後は幻であるという事です。

どのような思考で、どのような感情を持つかは、マリオがどうやってジャンプして
どうやって走るかが常に決まっているように、最初から決まっているのであります。

問題は自分がマリオだと思っていると、同じパターンの繰り返しを自分だと思い、
それらを個人的な事と取ってしまう
事です。

Aボタンを押せばマリオは飛ぶ、Bボタンなら走ると反応は決まっているのと同じで、
仮にある人物が自民党のポスターを見たらむかつく、共産党のポスターは何か応援したくなる、
というのもマリオの反応と同じです。
ただ単にAを押したらむかつく、Bを押すと応援したくなるってだけなのです。

この単なる反応を個人と置き換えてしまうから問題が生じるわけです。
反応は個人では無い、ならば個人と思っているものは何処に居るのかって事ですね。
前回の記事で戦争がどうのこうのと書いて思い出したのですが、
15年ほど前に亡くなった私の祖父は、第二次大戦で鬼畜米英と戦った戦争経験者でした。

戦争経験者の方はやたらと戦場に居た時の事を話したがる傾向がありますが、
祖父も私がガキの頃に延々と同じ話をしてくれたものです。

祖父は少々ブッ壊れたファンキーな性格をしていたので、かなり話を盛っていると
思われるのですが、何度も何度も聞かされて印象に残っているのが、
祖父の戦場での神秘体験ですね。

祖父が所属していた部隊が鬼畜米英の攻撃によりフルボッコにされ、
祖父は命からがら逃げ出すわけですが、その時四方八方から飛んでくる弾が
止まって見えたって言うんですよ。

サッカーの練習でカラーコーンを避けながらドリブルする奴があるじゃないですか、
あれと同じような要領で止まってる弾を避けまくって川に飛び込んで
助かったんだぜってマトリックスみたいな事を自慢げに言うんですが、
「それってその時だけだったの?」と聞くと「それ以降は何か自分の身体が裂けたような
気がするようになった。そうすっと自分が真っ白な紙、本当に真っ白になる。
弾は紙に出来た染みに見える、アメちゃん(米兵)の動きなんてそっち見なくてもわかる。
紙の上でインクが動いたら、それがアメちゃんだから」

と、わけのわからない供述を繰り返していたのですが、
これはスピリチュアル的な観点から見ると面白いと言えば面白いですし、
ジジイの法螺と思えばそう思えなくも無いですね。

それよりも「戦争から運良く生きて帰ってきて、焼け野原で商売始めて、
これも運良く上手く行ってわかったのは、
戦争行くにせよ商売やるにせよ何でも命賭けで戦うとか気合入れて臨むとか
言ってる奴多いけど、それって特にそう思わなきゃいけない決まりも無いのに
勝手に思ってるだけだからなあ。
戦争で生き残るにせよ、商売繁盛するにせよ、全部運だよ。
運に運ばれるままにしていれば良いんじゃないかと思うよ」
というニュアンスの事を
よく言っていた事の方が印象深いですね。













まあ、さらに印象深かったのは「従軍慰安婦なんてあんなもん嘘八百だよ、
あれは朝鮮の連中が自分たちから売春に来てたの。
だって俺10人ぐらい買ったもん、売春婦最高や!」

マジかよ爺ちゃん!
年明けも相変わらずFallout 4にハマって「核戦争最高や!」とか言ってたら、
引き寄せの法則が炸裂したのか、北朝鮮が最終決戦兵器・水爆を完成させ、
この記事を書いてる最中にもイラン大使館がサウジアラビアに空爆されたりと
いつの間にか世界大戦一歩手前まで世界情勢が動いてしまいました。

メールでも「何か大きな戦争が起きそうで怖いです、私は何処へ逃げれば良いのでしょうか」
みたいな、何故か私に避難場所を聞いてくる人が居たりと何か色々と大変な事に
なっているのですが、そもそも何で戦争とかを恐れるかというと、
自我でも心でも何でも良いですが、太陽が常に燃えているのと同じで、常に何かを
求めているのがその性質だからですね。

何かを求め続けずにはいられない、という性質なのですから
それはそれで放っておけば良いのであります。
求め続けているのは自分では無いのですから、別に放っておいても問題は無いはずなのです。

心臓は動き続けないとダメですが、それを無理に手で押さえて止めようなんてしたら
大変ですよね、だから動くに任せれば良いのです。「心臓は俺だ」とか言って
心臓を操作しようとしてもしょうがないでしょう。

「でも心臓が止まったら死ぬじゃないですか」と思うかもしれないですが、
それで良いのですよ。求め続ける性質の死は、偽りからの解放でもあります。

「でもそうなると今度は何の感情も無いロボットみたいになれという事ですか」
なるかもしれないですが、それもやはり何かを求め続けたいという性質の現れであります。

求め続ける性質が死ぬ事と、感情が無くなる事は別にイコールではありません。
それをイコールだと感じてしまう事が、既に求め続ける事と己を同一視してしまっています。

恐怖と向き合うのは、”求め続ける性質”から解放されるチャンスでもあるのです。

カレンダー

08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 4 5 6
7 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]