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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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新国立競技場こと森喜朗古墳の建設計画が何故か全部白紙になってしまったのですが、
神の国日本が2500億円程度のはした金も出せなくてどうすんだと思います。
「勿体無い」とか「お金は大事」とか、まさに日本を覆うデフレの元凶ではなかろうかと
感じますです。

個人レベルでも「大体これぐらいまでなら勿体ないとか感じない」というレベルが
あると思うんですが、金額という単なる数字に左右されるなんておかしな話ですよね。

例えばかなり前にも書いたと思うんですが、私は中学の時の小遣いが月5万円でした。
中学生向けの雑誌の占いコーナーに「今月は急な出費でお財布がピンチだぞ☆(ゝω・)v」とか
書いてあっても、「インチキ占い師め、この俺様がピンチだと? フッフッフ、馬鹿な」とか
思ってました(ちょっと嫌な奴?)

で、当時仲良かった奴はかなりの貧乏で小遣いが千円とかだったんですよ。
だからそいつは毎月ピンチだったわけですが、私が一ヶ月の出費が5万円まで冷静で
居られて、そいつの方は毎週ジャンプとマガジン買うだけで大ピンチで冷静で
居られなくなるってのは、全て金額という数字に左右されているわけです。

スピリチュアルに強引に持ってくると、金銭的な面でスピリチュアルに縋る人は
恐怖を感じる金額、仮に月10万円とすると、10万円までは普通ですが
10万円を超えると突然、”今に在り”出したりします。

つまり10万円以上の出費という恐怖に対し、スピリチュアルっぽい知識で
恐怖を感じないようにしているだけで、これは結局は数字の多い少ないに
支配されているだけであります。

これは金銭面以外でも同じで、スピリチュアルの知識がある人が
仮にちっこいネズミと戦えと言われたら別に何も気にせず戦うでしょうが、
虎やライオンとタイマン張れと言われたら”今に在り”出したりするかもしれません。
私も機嫌が悪い時の嫁さんの相手しろと言われたら今に在り続けると思います。

これもお金を失う恐怖に対してと同じで、身体面で虎やライオンや嫁さんに
ブッ殺されるかもしれない恐怖に対しての処方箋として、
スピリチュアルを用いているだけです。

お金にせよライオンと戦うにせよ、”外部の”要因に左右されるのはスピリチュアルでは
ありません。肝心なのは外部の要因でメーターが上がったり下がったりしてしまう
偽りの自己を見抜く事であります。
外部と内部を区切るから、外部の要因が支配的になってしまうわけですね。
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「一瞬にして世界との一体感を感じ、多幸感が溢れました。しかし、その後は
元に戻ってしまいうんたらかんたら」
という内容のメールを頂きました。

まあこういうすごい多幸感とかは私も経験が無いとは言いませんが、今にして思うと
単なる病気か頭でも打ったんじゃないかと思っています。

スピリチュアルが好きな人は前述したような多幸感などを求めがちですが、
これは幸せと不幸を言ったりきたりしているだけで、今まで不幸だ不幸だと
思っていた人はそれの揺り戻しみたいな感じで、ちょっとしたスピリチュアルっぽい
気付き(?)でとんでもない多幸感を感じてしまったりするものです。

スピリチュアルとかに手を出さずとも多幸感を嫌というほど感じられる方法はあります。
それは、風呂の中にでも潜って限界ギリギリまで息を止めて浮上すれば、
思いきり呼吸出来てその瞬間は大きな幸せに包まれ、余計な思考も無く、
世界と一体となるでしょう。


「何だそりゃ、ふざけんな」と思ったかもしれませんが、
スピリチュアル的な気付きだ何だで突然幸せになってしまう人は、それと同じ事を
やっているだけです。つまり不幸だ苦しいと延々と潜り続け、何かの弾みで
顔を出して思いきり息を吸って「ああ、なんと素晴らしい!」とやっているだけであります。

つまり風呂に潜って顔を出して、とやってるだけで、実は1ミリも変わっていません。
突然「何かを得た!」とか言い出す人はこのパターンが多いと思われます。
まあ今まで風呂の中に潜ってて、いきなり顔を出して呼吸するわけですから
何かを”得た”と感じるのもしょうがないですが、実は風呂の中から一歩も
出ていないわけですね。ですから前述したメールの方のように「その後元に戻る」場合も
あると思います。

風呂に潜らずに肩までつかってのんびりしているのはとても気持ちが良いので、
何かを得てしまった人が何となくお花畑っぽくなってしまうのも致し方ないとは思います。

が、しかし。風呂から潜って、そして顔を出してという行為は、結局は風呂の中でしか
出来ない事であります。
ですから風呂の中で遊んでいるのではなく、風呂そのものになるべきです。

風呂そのものとはどういう事かと言うと、風呂に潜って苦しいですと喚くのも、
風呂から顔を出して風呂最高や!とのんびりするのも、全て風呂の中での出来事であり、
風呂が無くては出来ない事です。

つまり全ては意識(風呂)に投影されているだけだという事ですね。













ちなみに何故唐突に風呂の話が出てきたかというと、昨日風呂場で滑ってコケて
浴室のドアを派手にブッ壊してしまい、嫁さんに大変に怒られてへこんでいるからです。
リンクに”ちまみ”さんの「うちゅうのひみつ、ちきゅうのひみつ」を追加しました。

ちまみさんはむいむい星人だそうですが、むいむい星人なのに何故か靖国に参拝し
共産党員と戦っているそうです。キャラ設定に無理がある気もしますが、
当ブログは宇宙人だろうがアカの手先だろうが来るものは拒まないのであります。
昨日頂いたメールなんですけど、要約すると「私は様々な書籍やブログを読み漁り、
よくわかりませんが行動する個人、思考する個人が突如として抜け落ちました。
しかしながらその後、幸せ過ぎて何をやっても幸せになってしまい当惑しております。
私はどうすれば良いのでしょうか」
というものであります。

要は頭がお花畑になってしまい困った、というものだと
思いますが、何かを行う個人という感覚が無くなれば、不幸だ何だというものは
無くなりますから、見方を変えれば常に幸せって事になると思います。

なので「どうすれば良いのか」と言われても、そのままで良いんじゃないかと
思われます。
何やっても幸せなら、このまま幸せのインフレ状態で突き進んで欲しいと思います。

行動する個人の感覚というのは錯覚である、というのを知るには
全てが自動的に起きており、それに任せるのがコツと言えばコツであります。

例えば歩いている時も結局は道に歩かされているだけですし、
車の運転も運転をさせられているだけです。
ハンドルを握れば右か左にしか回せませんし、道路はハンドルを左右に回す事のみが
前提で作られています、車がジャンプしたりロボットに変形する事は考慮されていません。
自分が行っているようで、実は何も行っていないという事ですね。

何も行っていないというなら、では自分とは何処に居るのか、という事です。
自分とは何も無い所と何かが現れる所の狭間に出現する一瞬の幻想のようなものです、
あらゆるものは現れるが、存在していないのであります。
夢の中の登場人物は確かにそこに現れてはいますが、存在していないのと同じです。








で、話がかなり逸れますが、スピリチュアルのような胡散臭いものが流行る背景には、
やはり今の世の中での幸せの価値みたいのが高くなってしまっていると思います。

デフレ状態でどんどんお金の価値が上がってしまって、お金が無いと幸せでは無い、
安月給は不幸だみたいのに始まって、それが派遣社員は底辺だとか何だとかに
繋がってるんじゃないかと思うんですね。

別に派遣だろうが日雇いだろうがそれなりの給料を得ていれば問題無いわけで、
そのためにはもっと金融緩和で世の中をじゃぶじゃぶカネで満たしてお金の価値を
下げていかねばならないのではと感じますです。

お金の価値が下がれば、労働は尊いものとかのよくわからない信念も
薄れるんじゃないかと思います。

普通の人がスピリチュアルだけでいきなり様々な価値観、信念をブッ飛ばすのは
やはり難しい部分もあるので、一番わかりやすく生活に密着しているお金の価値と
いうものを下げていき、別にどんな仕事してようが経済的には勝ちでも負けでも無いって
グレー状態に意識を持って行く政策を政府には期待したい所ですね。

特に勝ち負けをハッキリさせたがらない日本人にはこれが一番良いんじゃないかと
思います、一昔前の一億総中流って奴ですか。
スピリチュアルにおいては「自己の思考、感情をただ眺める」という方法が
よく勧められています。

が、いずれは眺めている者も消えてゆくものであります。
以前も書きましたが、そもそも「何かを眺める」とは「眺めている者」が
居なくてはなりません。

何かが起きている、でもってそれを眺める、という事はですね
ややこしい言い方をすると何らかの事象が起きたらその事象を眺める者が現れる、
という事象が起きなくてはならない
のであります。

例えばいきなり何かがボカーンと爆発したという事象が起きても、
その爆発を眺めている者という事象が起きないと、事象は成立しないのですね。

つまり事象というものは全てを(爆発と、それを眺めている者)ひっくるめて
初めて”事象”なのであります。

ただ眺める、とは最初からある事象が成り立つために必要な要素なのですね。
しかし眺める方に焦点を置く事で余計な思考や感情から距離を置けますから
良い事は良いのです。

しかしながら結局は事象の中に居るだけというのも事実であります。

まあこれはよく考えれば当然で、前述した何かが爆発したという事象も、
爆発そのものと、それを眺める者が居て初めて事象として成立するのですから、
これは言い換えれば腕立てやってて右腕が痛くなってきたから左腕の筋肉に
意識を持ってきている
のと同じです。

確かに右腕の痛みからは距離を置けるでしょう、
しかし腕立て伏せという事象からは一歩も出ていません。

では事象から抜け出す(?)にはどうするかという話ですが、
これは文章だと説明しづらいですが、要は全て全自動であるというだけです。

歩いたりメシを食ったりしてるのも、何かを考えたりしてるのも、
全て己の意志など無く、自動で行われているという事です。
夢を見ている時も、仮に自分が夢の中で何かやっていると思っても、
それは夢の世界で全て自動に行われているというのと同じです。

全て自動である、と言っても結局は世界の理(ことわり)みたいのには
従って進むわけで、例えば物を離せば下に落ちるし、自転車を漕げば宙に浮いたりせずに
地面を進みます。

つまり在るのは理だけだったのであります。

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