忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
最近、どういうわけかメールが大量に来て、私自身もヒマだったので
珍しく返事を書いたりして少々更新に間が空いてしまいました。
まあ特に更新を心待ちにしている人も居ないでしょうし、これからもマイペースで行きます。

で、「ごく普通の日常生活を送っていて、トントン拍子に話が進む人と、
ごく普通の日常生活を送っていてトントン拍子に話が進まない人とは
どこが違うのでしょうか?」
というメールを頂きました。

どこが違うのでしょうか?と言われても特にありませんが、
強いて言えば祖父やオヤジのコネあまり世界に執着しない事でしょうか。

少し話が飛びますが、自我にとっては普段の日常生活は「起きている」状態と
認識していますが、実際は寝ている、あるいは一種の催眠状態にあるとも言えます。

これは「夢」で例えるとわかりやすいです(多分)
夢を見ている時も、夢の中では「自分は起きており」「様々な事を考えている」はずです。
夢の中の登場人物も、あたかもそれぞれが独自の意志を持って活動しているように
感じているはずです。

これと同じことが自我にとって「起きている」状態にもそのまま当てはまります。
自分の住んでいる場所、職場、そして世間で色々な事が起こっており、
多くの人々が生活しています。
そしてそれらは全て独立した出来事、人物であると感じているはずです。

しかし、夢の世界はどこまで行っても実体の無い夢であると同じように、
自我にとっての世界も実体の無い世界であります。
それがどんなに実体を伴っているように見えても、です。

なので全てが実体の無いものなら特に執着もしません。
あるのは楽しみであり、喜びであり、幸福感しかありません。
夢の中で突拍子も無い事が起こるのと同じで、自我にとってのこの世界で
突拍子も無い事が起きても良いのであります。

しかし何故か自我は理屈が通らないと納得しないので、ここでまた
分離が始まるのであります。

もしかしたら夢の中でも「理屈が通らない」と悩んだ夢を見たことがあるかもしれません。
しかしそれは夢であり、悩んでいるあなたは何処にもいません。
悩むような事柄もありません。もっと言えば、何もありません。
しかし確実に「存在する何か」はあるはずです。
PR
何人かの読者の方から某まとめサイトに掲載されている
2ちゃんねるのスレッドを教えてもらいました。

瞑想やれよ人生変わるぞttp://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3582934.html

私はすぐに爆睡してしまうので瞑想の類はやったことないですが、
早い話が瞑想は思考を観察し、自我を沈める効果があるようであります。

まあ思考っていうのは頼んでなくても太陽が地面を常に照らしているのと
同じで、頼んでなくても泡粒のように次から次へと出てくるモンなんですよ。
なので出てくるに任すと良いと思います。

思考とは面白いもので、ただ座ったり寝たりしているだけなのに
必死に心配事や悩み事を探してくるものです。

その心配事や悩みは何処にも無いし、起きてもいないものなのに
必死にアピールしてくる思考は非常に滑稽ですらあります。
思考の中にしか、「私」は存在しません。思考は必死に「私」を
アピールするでしょうが、それを面白おかしく感じてしまうモノが
我々の本質なのだと思います。

というわけで私も瞑想やって人生を変えたいと思います。
何度か書いていますが、我々は我々であると認識できるモノが
あるからこそ、我々である、と言えます。
少々ややこしいですが波は海が無ければ存在できないのと同じです。

世界が風呂桶だとして、その風呂桶を掻き回すから波があり、
そして風呂桶があるから海は存在できます。さらに言えば風呂桶は
風呂桶が置ける空間が無ければ存在できず、そして空間も
風呂桶が置けるスペースが無ければそれは空間として成り立ちません。

つまり波→海→風呂桶→空間とどんどん上位概念ぽくなっていくのですが、
逆から辿ると空間も風呂桶が無くては存在できず、風呂桶も海が無くては存在できず、
そしてまた海も波が無くては海として成り立たないのであります。

つまり世界とか宇宙とかは「内側と思ってたら外側、外側と思ってたら内側」
なのです。だからどうしたと思われるかもしれませんが、結局全ては起こるべくして
起こる
のであります。

これは運命論とは違います。風呂桶がある以上、波は必ず起きてしまうのです。
そして風呂桶やら波やらは、「私」(自我を超えた私)が在るからこそ、
出てくれるのであります。

なので「波が起きるのは嫌だわ」ではなく「波を起こす事が出来てしまう」のです。
全ては正しく調和されているのであります、何故なら前述のように波が起きるからこそ
海は海として存在できるからです。どちらが欠けても成り立ちません。

ネガティブは嫌だ、じゃなくてネガティブになれる、なれてしまう、という言い方が
正しいのであります。ネガティブは敵では無いし、そしてまたポジティブも
味方ではありません。

そこにはもう敵も味方もありません、調和の取れた静寂があるだけであり、
その静寂こそが「私」です。

簡単に言えば、少し荒っぽい例えですがあらゆる思考、感情、概念、
そして周りの街並みやら人々やら動物やらを「雑音」とすると、
では何故それらを「雑音」と認識できるのか、それはその背景に「静寂」が
あるから
です。

それはあなたが生まれる前から、片時も離れずにずっと在ったのです。





あれ?今日は珍しく下らないギャグが無いじゃないですか、と思ったアナタ。
このブログが存在するのはギャグがあるから存在出来るんじゃなくて
サーバーがあるから存在出来るのであります。
全ての源泉(サーバー)があれば、ギャグがあろうが無かろうがブログは
アップされてしまうのです。

つまりブログがアップされてしまう、という事は裏を返せば源泉であるサーバーは
安定している
という証明でもあるので「どうしてギャグが無いんだ!」とか動揺する
必要は無いって事です(まあどーしても何か一発ギャグをかませと言うなら
無理矢理捻り出しますけど)同じようにネガティブな思考や感情という「雑音」が
出てくるっつー事はその裏に流れる「静寂」は正常だという事なので、
ネガティブだろうが何だろうが、何もかも感じきれって事ですね。

読み返してみると今日の内容って最後の一言だけで十分でしたね。
昨日の補足みたいになってしまいますが、
心は決して「今」に存在する事は出来ません。

眠りに入る時も「今から眠る」瞬間はわかりません。
起きてから、「昨日は布団入って五分ぐらいで寝たのかしら」と
適当に判断するぐらいです。

つまり寝ているという判断だけで、実は寝てないかもしれないわけです。
まあそれだと単なる寝ぼけじゃないか、と言われそうですが
心の判断とは決して「今」ではない、という事です。

という事は常日頃から心で「今」だと判断している世界は、
全て存在しないとも言えます。心が「今」を捉えられない以上、
「今、寝ました」が事実でないのと同じで、「今、この世界がある」「今、生きている」も
事実ではないのであります。
そば屋の出前で「今、出ました」が殆どウソなのも頷けます。

今に在るとか何だとかスピ系でよく言われますけど、「今」を心で捉えようとすると
難しい、というより無理です。

「今を感じれば良いんだな」と思った時点で、既にそれは「今」ではありません。
「今」とは常に万物のバックグラウンドとして存在するモノ、キャンバスのようなモノです。

心で「今を感じ取る」だと、どうしても時間の概念から逃れられません。
「今」を捉えられない心は「過去・今・未来」という概念でしか理解出来ないからです。

そうではなくてこのブログで言えば「過去・今・未来」という単語が書いてある
背景の白地がそれらを超越した常にバックグラウンドとして在る「今」です。
我々の思考とか何だとかは全て心と言われるものから
発生している、と思われています。

肉体の中に心なるものが存在し、それが色々何やかんやと
騒がしい、というイメージであります。

しかし、心というものが在る、と認識できるという事は
心を認識しているものは何者か、という事になります。
というより、その何物かが在るからこそ心も在り、逆もまた然りです。

文章にするとややこしく感じますが、早い話が寝ている時は、
世界とか日本とかは文字通り消滅しています。

夢の中で東京とか大阪に居るかもしれませんが、それらは起きた時には
消滅します。心ではここは東京とかここは地球だと認識しているはずですが、
目覚めたり起きたりするだけで、あれだけ心が確固たる認識をしていた
世界があっという間に消滅してしまいます。

しかし、それらが消滅しても確かに存在するのは「心を認識している何者か」
あります。その何者かは常に心と対になって存在します。
心の方は、色々と思い悩みます。
仕事行く日に朝からどしゃ降りの雨が降ってただけで思い悩みます。
夢の中で変なオッサンに追いかけられるだけで動揺します。

しかし、もう一方の「何者か」は何一つ動揺しません、
何だかややこしい流れになって来ましたが、
色々揺れ動く「心」の方に比重を置くか、「何者か」に比重を置くかだけの違いです。

大袈裟に言うと、いついかなる時でも天国は常に流れているのですが、あまりにも
バックグラウンドに溶け込みすぎているので気付けないだけなのです。

カレンダー

08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 4 5 6
7 9 10 11 12
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]