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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピ系の情報はネットの普及により文字通り溢れんばかりに有りますが、
多くの知識を詰め込んでもクソの役にも立たないのがスピ系の特徴(?)でもあります。

結局はこの手のものは自分自身が「それ」にならなければ本来の意味は伝わりにくい所が
あります。ブログや書籍だと、どうしても伝える人と伝えられる人という分離を前提として
書かなければならないので、結局は情報の受け手側が気付いていくしかないと言えば、
やはりそれしかないのであります。

例を挙げれば、すき家について膨大な知識を持つ人と、すき家になってしまった人では
雲泥の差があるのです。
この「なってしまう」がポイントなのです。

そのためには前回も書きましたが、分離を生み出す「私」の正体を見抜き、
「私」と「すき家」ではなく、「すき家」しかない世界を垣間見るしかありません。

が、しかし。ここが文章で書くと難しい所なのですが、「なってしまう」という表現だと
今度は「やはり私がなるのだ」と思いがちです。
そうではなくて最初から「なっていた」事に気付くという事です。
「なっている」事が前提で「私はまだすき家になってない、それどころか吉野家にもなってない!」と
嘆くのは順番が逆です。

どうして世界が自分にならないのか、それは「私」が理屈付けを止めないからです。
じゃあ何で理屈付けをする必要があるのか、何のために?そこにポイントがあります。
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先日「乗るしかない、このビッグウェーブに」という記事を書いた所、
「私はとても不安に襲われていますが、思いきって波に乗る決意をしました」みたいな
結構な悲壮感が漂うメールを頂きました。

私の書き方が悪かったと思うんですが、別に「飛び込みます!」的な
ストイックになる必要は全くありません。
滝壺に飛び込めと言われたら勇気が要りますが、滝壺そのものになるなら
勇気もクソも要りません。


それと同じで不安だの不快だの何だのというのも、何故そのような感情を持つかというと、
不安・不快と「私」が居るから、なのであります。

この記事でも触れましたが不快だの不安というのは別にあっても良いものです。
何でそれらを排除、あるいは「全て私だからどうのこうの」という理屈だけを振りかざして
見て見ぬ振りをするのでしょうか、それは「私」を過保護に扱いたいという願望です。
幻の「私」を守りたい、傷つきたくないという”過保護願望”が見事に実現しているだけです。

ですから不快や不安から逃げれば逃げるほど、それは望み通り追いかけてきます。
追いかけてきてくれないと「私」を過保護に出来ませんからね。
そしてまた幻の「私」を守るための願望が次々と実現していきます、
すなわちスピ系サイト巡り、バカ高いセミナー巡りであります。

「私」がいないという事に気付きましょう、気付けば、不快や不安も実は自分だったという事です。
追いかけてくる怪物を倒すには戦うのではなく、その怪物になることです。
そうすれば追いかける対象を失った怪物は、消えていきます。
というより怪物の正体はあなただったわけですから消えざるを得ないのです。
全てあなたの自作自演の鬼ごっこだったのであります。
一人で「まてよー」「つかまえてごらんなさーい」とやってる痛い人だったのです。

ですから不快なら不快で良いし、不安なら不安で良いし、憎たらしいなら憎たらしいで良いのです。
それらは大袈裟に言えば宇宙でありあなたそのものです、逃げる必要も無い、誤魔化す必要も無い、
戦う必要も無い、何もしないです。

エイリアンの着ぐるみを見て、「うわーキモいわ」と思っても、その着ぐるみを着て
自らがエイリアンになれば別にキモくも何ともない
のと同じです。
またしても相互リンク希望のメールを頂いたのでリンクします。
「潜在意識の達人447さん、その他の達人方の発言集」という
いわゆるまとめサイトですね、
ここはこの記事でもちらっと触れたことがありますが、何故か達人扱いになっている私の
適当な発言は読み流して、他の方々の発言を読んだ方が良いです。

ちなみにこのまとめサイトだと私(知らん)が「桑田さん」になっていますが、
これは何かの例えで元巨人の桑田真澄氏を出したらいつの間にか通称が桑田になってしまいました。

あの時ブラッド・ピットとかジョニー・デップとかの、私と同じぐらいのイケメンの名前を出しておけば
良かったと今でも思っています。

寄りにもよって桑田を出してしまった自分の浅はかさを恨みます。
最近リンクを希望されるメールがちょこちょこ来ています。
このブログの更新頻度が下がった途端にリンク希望が増えるという事は、
そろそろこのブログ自体は役目を終えつつあるのかもしれません。

今回リンクさせて頂いたのは、ブルース・ウィリアムズさんのブログ
「セドナメソッド×潜在意識=願望実現」であります。

私は最初メールを見たときに、あのブルース・ウィリスからメールが来たのかと思い、
ついにこのブログもハリウッドスター公認になったかと思いましたが、
メールが英語ではなくバリバリ日本語だったのでおかしいと思い、よく見ると
ウィリスではなくウィリアムズさんでした。

まあブルース・ウィリスがこんなブログ見てるわけないんですけど。
前も書いたと思いますが、基本的に感情は「自分」とは関係がありません。
ですので感情をどうこうするのは意味が無い、と言うと言い過ぎかもしれませんが
振り回されるのも、また意識的に無視するのも良くないです。

「全て自分なのだからうんたらかんたら」というのは事実でありますが、
ここで勘違いしやすいのが、嫌だと感じる感情を無視するための方便として
この概念を持ってくることです。
同じように見えて、これは大きな違いであります。

例えば目の前でオッサンがウンコしてるのをモロに見て「快感!!」となる人は、
特殊な趣味の持ち主以外には居ないと思われます。

恐らく多くの人は非常に不快だと思います、ここで不快から目を逸らすために
「このオッサンも私が創り出したものであり、オッサンは私であり・・うんたらかんたら」と
言い出すのは、結局不快を紛らわせるために「全て自分である」という概念を
持ってきているだけ
です。

自分は世界というのは文字通り「自分(世界)」なのです。
不快なものを見たり感じたりした時の誤魔化しとして、都合の良い概念として扱うものでは
ありません。不快なら不快で良いのです、最もらしいスピ系のおまじないを持ってきて
何たらかんたら言うものではありません。

不快という感情は「自分」と関係無いのですから「そこにあって良い」ものなのです。
不快を認めれば、そのうち不快を不快として見なくなります。

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