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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「安心とかを思ってりゃ良いよ!」と書くと「じゃあ私の願いはどうたらこうたら
ただ単に良い気分でいるだけですかどうのこうの」という感じのメールが高確率で
来るのですが、どうも願望を放棄してラリってろ的に取る人が多いようです。

そんなことは一言も書いていないのですが、この辺は何故そのような思考に
なってしまうのかを掘り下げていった方が良いと思います。

まあ言葉で言っちゃうとですね、「願望の達成は願望を消滅させる事」なんですけど
これだと「じゃあ諦めろっていうの、いやあああああ!」のメールが確実に来てしまうので、
このブログのアプローチの仕方としては、まず目覚めっぽいものを体感してから
そこから世界を自由に創造しようぜというスタンスであります。
もちろん「諦めろ」なんて言うつもりも無いし全く違います。

世界を創造っつーと、ポピュラスとかシムシティとか、あの辺の感覚をイメージしてしまうかも
しれませんが、実際は世界は自分なので創造っつーより融合に近いかもしれません。
まあこの辺は言葉遊びになってしまいますが・・・。

波ではなく海になる。立川談志ではなく立川流そのものになる。みたいな感じですが、
まずは思考を止める事が先決だと個人的には感じます。
何故なら思考することが即、現れるので、まずは逆のアプローチとして「思考を止めたらどうなる」
から入っていくのが良いと思います。

ただここで言う「思考」とは「手を挙げる」とか「歩く」もそうですが、もっと言えば
強烈な思い込み、つまり黒という色を見たら「これは黒」と判断する思考です。
五感で判断する物、と言えるかもしれません。

これは殆ど無意識に処理している事なので最初は気付くのが難しかもしれないですが、
それらを無くしていくと、いずれは世界とフュージョンします(多分)
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昨日の記事で潜在意識とか全部まやかしだよ という内容を書きましたが、
これは別に潜在意識とか、ナントカメソッドとかがインチキという意味ではありません。

現にネットの世界を少し覗いても「潜在意識で目標を実現しよう!」とか「潜在意識で復縁!」
とか「潜在意識で洗剤ゲット!」とか実際に潜在意識を用いて成功した人が集まる掲示板とかが
あるみたいです。

妙な表現ですが、潜在意識とかナントカメソッドの類は、まやかしであると同時に
間違いなく真実
であります。
何故なら実際にそれらを用いて色々達成しましたという人が多数いるからです。

しかし、それは別の角度から見れば「潜在意識を用いれば実現する」世界を創っていたからに
他なりません。


つまり、本来は何もしなくても良い五感を超越した世界に最初からいるのに、
わざわざ「潜在意識を用いてどうたらこうたら」という世界を創り出し、
そうして「潜在意識を用いてどうこうした」わけです。

これは潜在意識に限らず全てのメソッド類に当てはまります。
「ナントカをしてどうしたこうした」「ナントカをやればこうなる」というのは
全てそのような世界を創り出し、その世界でのルールを決め、その世界で「うまくいった」ように
見えるのを繰り返すだけです。つまり創った世界では真実なのですが、本質的にはまやかしです。

あらゆるメソッドとは、全てまやかしに気付くためのものです。
まやかしに気付かずにメソッドに励んでうまくいったように見えても、
必ず同じ事を繰り返します。結局は幻の中で終わらないゲームに励んでいるだけです。

メソッドそのものすら幻であると気付いた時に、今までの認識を全て飛び越した
新たな認識、最近よく書いていますが本当の自由に気付けます。

誰もがメソッドを学び、メソッドに縛られ、そしてメソッドを捨てるのであります。
昨日、久々にネットサーフィンをしてスピ系のブログとか見ていました。
で、あくまで個人的な感想ですが、スピ系の人ってなんか考えが左翼っぽい人が
多いような気がします。

結局現状に不満があるからアセンションで全てが浄化されて世界が良くなるとか、
この世はフリーメーソンが支配しているとか、聖戦が起きて悪の勢力が滅ぶとか
そういった世界を見ているのではなかろうかと思います。

もちろんそのような話が全てインチキだとか言うつもりは毛頭ありません。
このブログでも世界の支配者はすき家であると声を大にして言っていますし。

結局は見たいものしか見ないし、創りたいものしか創らないんでしょうね。
ただこの「見る」っつーのが曲者で、殆どのケースにおいて「見てから、判断してから」
ああだこうだと言っていますよね。

例えば「あなたの願望は叶いません、残念でした」みたいな事を読んで、
「こんな読んでて暗くなる文章を創った私って何かしら潜在意識とかの使い方が間違っているの
かしら」とか思ってしまうでしょうし、逆に「あなたの願望は間違いなく叶います、おめでとう
ございます」
みたいな文章を読んで「こんな明るくなれる文章を引き寄せた私のナントカメソッドの
やり方は間違ってなかったんだわ」とか思うでしょう。

実際は文章というものは視覚が勝手に判断したものですから真実ではありません。
「焼肉最高!」と「%&$#!」は同じものなのです。
つまり、視覚が色々送ってくる情報から自由になるという事です。
文章を見て、あるいは現状を見て「間違っている」も「正しい」も無いのであります。

これと同じことで、耳から入ってくる音も真実ではありませんし、鼻から入ってくる匂いも、
舌で味わう味も、触れて感じるものも真実ではありません。
五感の支配から自由になったとき、セブンセンシズに目覚めるのであります。

まあセブンセンシズっつーのは大袈裟かもしれませんが、
とにかく一回五感を放棄して、自由になってみると大きな気付きがあると思います。

それは前述した「潜在意識の使い方が云々」「メソッドのやり方が云々」というのが
全部まやかしであったという衝撃の事実であります。

「あんたの願望なんて叶わないよバーカ」というのを見て「潜在意識とかメソッドが
間違っているかもどうのこうの」と思うっつーことは、逆に言えば視覚の判断を受け入れなければ
「潜在意識とメソッドが間違っているかも云々」という思いも出てこないという事です。

つまり潜在意識も、ナントカメソッドも全部が全部想像の産物というか、創造の産物だったので
あります。そして創造の産物である潜在意識とかメソッドで「これを利用して何かを実現するぞ」と
思い、望み通りの世界を創っていたのです。

昨日から書いていますが、世界=全てが瞬時に実現するという事の一部ですね。
「じゃあどうするの?」と思えばまた似たような展開に陥ります。

答えは「どうもしない」つまり五感を含めたあらゆるものからの解放、今すぐ自由になる事です。
「枠組み云々言ってるけどそれが外れた所でどうなるの?」という
問い合わせ(?)みたいなメールがちょこちょこ来るようになったのですが、
ぶっちゃけて言うと「何も変わりません」

が、しかし これは言いかえれば「自転車に乗れるようになる前と、なった後」みたいな
モンで、自転車に乗れるようになってからいきなり背が伸びたり毛が生えたりしないのと
同じで、枠組み云々に気付いたからといって、いきなり渋谷に住んでたのが六本木に変わってたとか
そういう事もありません。

しかし、自転車に乗れる前と後では確実に自分の中で「何か」が違うのと同じように、
やっぱり「何か」は変わります。それは文章では説明できないものですが、
変わるモンは変わるのであります。

同じ風景でも自転車にうまく乗れずにフラフラしながら走っていた時と、
スムーズに乗れるようになってから見るのでは全然違って見えるのと同じです。

ただ難しいのはその方法論を思考で追いかけると、磁石が反発するかのごとく
逃げてしまうという事です。

ですからこのブログだと「何もしない」事を度々書いているのですが、
それでもやはり「何もしない」を「する」ゲームに陥りやすいのです。

で、「ゲームに陥るからどうたらこうたら」と書くと「でも結局は仕事しないと
一家心中だし、世界が滅ぶ」と感じるかもしれませんが、
これはまあその通りです、いきなりゲームそのものをスパっと変えるのは困難です。
まずはゲームにいることを自覚しつつ、ゲームに参加しない事が肝要です。

仕事だ何だはゲームにいる以上はやらねばならない「作業」です。
ゲームに参加しないとは、その「作業」の結果その他に振り回されないという事です。

振り回されないとどうなるか、その内「作業」に関わっている「自分」が消えていきます。
「作業」に「俺の感情」「私の考え」が入ってくるから「参加」してしまうわけですから、
参加しなければどんどん「自分」は消えていきます。

そうすると残るのは何か、「ただそこに在る」という意識だけです。
自転車の練習中は色々考えて、思って、試していた事が、乗れるようになってからは
何も考えず何も思わず「ただ、乗っている」になるのと近いです。

この「ただそこに在る」がゲームから抜け出るには肝心だと思います。
そのためにはどんなに嫌で苦しい感情が湧いてきても、そこにどっぷり浸かる必要も
あります。
浸かるからこそ、「自分」が「嫌だ、苦しい、何とかしたい」と思ったり感じたり
している事、つまり「参加」してしまっている事に気付けるのです。

一度「参加」に気付けばそれで終わりです、サーフィンでも一度波に飲まれれば
次はそう簡単には飲まれません、いずれは波と一体に、つまり「何もしなく」なります。
嫌だとか苦しいとか湧いてきたら、ビッグウェーブが来たと思って飛び込むぐらいが
丁度良いです。
スピ系と最も密接なものと言えば「命」「お金」でしょうか。
ぶっちゃけて言えばあらゆるメソッドはこの二つへの執着とか未練とか
渇望とかをどうにかするためにあると言えるかもしれません。

まあこのブログだと「全部幻」というヒジョーにアバウトな捉え方を
しているので、それに従えば生や死も無いし、お金も存在しません。
と言うとまたややこしい話に突入するので、今回は久々にメソッドっぽい話です。
メソッドっぽい話の方が読者受けも良いし。

お金というのは文字通り「お金がある」っつーだけであって、
それ以上でもそれ以下でもありません。

にも関わらず「お金が無くては ~である」みたいにあらゆるものに
お金を当てはめるのは、まさに長年のクセのようなものかもしれません。

「お金が無くては、ナントカだ」というのは「背が高くなければモテない」
言っているのと殆ど同じです。お金の有無と様々な事象は関係無いのに、
何故か関係付ける習慣があるのです。

しかし「でもお金無いとコンビニでオニギリも買えないしカプセルホテルで
泊まったりも出来ません」となるかもしれませんが、これは順番が逆
オニギリ食ったりカプセルで泊まるためにお金が出てくるだけなのです。

「まずお金ありき」だと必ずお金の残高ばかり気にします。
しかし、まずお金ありきと考える場合、残高は少ない事が多いと思うので
ずーっと「お金が少ない」が意識から消えないと思われます。

しかし、全部幻なので「残高というものは存在しない」のであります。
ですからお金からも自由になってしまえば良いのです。
そう、ドラクエ止めた後は桃鉄からも自由になるのです。

ただ難しいというか、誤解しやすいのは「お金なんて無いんだね、じゃあ車とか家とか
バシバシ買うよ!」と言って買いまくる事ですが、これは桃鉄から一歩も出ていません。
「お金が有れば車が買える」が「お金なんて幻よ」と聞いて「お金が無くても車が買える」に
なっただけだからです、つまりお金の存在はしっかり認めちゃってるんですよね。

結局書いてみるとメソッドっぽいというより、ここ数日の記事の焼き直しみたいに
なってしまいましたが、「ゲームを止めたつもりでやっぱり参加している」状態に
なるケースは多いので、この辺にまず気付いてみて下さいね。

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かなりアバウトな性格の既婚平民

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