以前の記事で
あらゆる可能性を受け入れた方が良いよ、
みたいなのを書きましたが、これを現在のコロナ騒動に
強引に当てはめると、コロナに過剰にビビっている人は
まさにこれを無意識に実践している状態であります。
もう何でもかんでも感染に結び付けて
緊急事態宣言ガー
夜の街ガー、Gotoガー、ガースーガーとまさに
あらゆるものに感染の可能性や恐怖を見出しています。
つまりこれは、あらゆる可能性を受け入れていると
言えるんですよね。あらゆる可能性を受け入れている
からこそ、全てがコロナ関連に見えてしまうという
事です。
ですからコロナ怖えええという願望(?)をちゃんと
実現しているんですよね、そんなものは望んでいないと
言うかもしれませんが、あらゆる可能性を否定せず
受け入れるとはまさにこの事であります。
これに加え逆に可能性を絞りまくってしまっているのが
コロナを封じ込めよとか撲滅せよというものですね。
基本的に確率が低いものをゼロにするというのは大変な
コストと労力がかかります。コロナで右往左往している
人は恐怖に関してはあらゆる可能性を受け入れてしまい、
封じ込めろとかの一見ポジティブに感じるものには
思いきり可能性を狭めてしまっています。
これは宝くじとかも同じで、一等が当たるというのは
確かにポジティブに感じますが、その為にどれだけの
コストがかかるかはあまり考えずにどんどん可能性を
狭めていく事が殆どです。
つまりコロナにビビっている人は、そのビビりの要因は
自らが見事にスピリチュアル的なメソッドを
悪い意味で
実践してしまっている事にあります。
もちろん感染に注意するという事は悪い事では
ありません、しかしながら知らず知らずの内に恐怖だけは
あらゆる可能性を受け入れて、ポジティブに感じるものは
可能性をクソ狭いものにしている事が多いように
思います。
これは通常の願望とかに対しても同じで、
何かを願う人ほど願望に関するネガティブを拡大して、
ポジティブを狭くする傾向があります。
であるならばその逆をやれば良いわけで、ネガティブに
感じるものは狭くして、ポジティブに感じるものは
拡大すれば良いのであります。
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