「エゴからの解放を実感し、すごい安心感を得たと
思ったら後からすごい恐怖を感じるようになったのですが
どないしよう」というメールを頂きました、
ありがとうございます。
これは説明自体は簡単であります。
まず"エゴからの解放"というよくわからないものを
実感し、更にその後すごい恐怖を感じたのも"意識"が
感じたという事です。つまりこれはあの人イケメンだなぁ
とか、何かあの人目つき悪くて怖えなとか感じているのと
同じという事であります。
つまり
"誰が"体験しているのか?という事です、
自分が体験している、というのすら意識が感じている
だけです。
体験できるものは全て自分ではありません。ですからスピリチュアル系の話で
「自分が居ない」というのも文章で書くとそうなりますが、正確では
無いです。何故なら「自分が居ない」と感じた何者かが
居るやんけというツッコミが成立するからです。
肝心なのは「自分が居ない」と感じた物は何か?
何からそのような感覚が生じているのか?という事で
あります。
何かを見るのに眼球は必要ですが、見ているものイコール眼球ではありません。これも眼球では無い、あれも違う、
これも違う。そうやって否定していって最後に残るのは
眼球そのものを見る事は出来ないが、やはり見ているもの
は眼球に映ったものであるという理解であります。
それと同じで、安心感も恐怖感も高揚感も全ては意識に
映ったコンテンツに過ぎない、エゴからの解放という感覚
ですら、結局それを体験しているのは自分でも何でも
ありません。それを
体験した!私が!となると
その瞬間からその感覚と自己を同一化し、エゴという幻に
生きる事になります。
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