相変わらず世間はコロナ騒動で騒がしいですが、皆様
如何お過ごしでしょうか。
私は以前、真冬なら東京だけで感染者は一日1500人
オーバーぐらい行くだろうと予想しておりましたが、
まあ大体イイ線いってんなとか思ってます。
といってもこの程度では全然少ないですね、
インフルエンザがピーク時に一日約10万人でしたっけ?
それを考えるとこれは全然少ない。
私が高校の頃に初代プレステが発売当初
「いくぜ100万台」というキャッチコピーを出してましたが、もうここまで来たら
いくぜ100万人ですよ。
しかしながらここまでコロナにビビるというか、
コロナを気にかける人が多くなるとは正直ちょっと
予想出来ませんでした。
この前近所のジジババと話す機会があったんですが、
何か
コロナ以外では死なない、みたいな口調なんですよね。
ジジババだと他にも死因は多いはずなんですが、他の
リスクが高い行動はガン無視してひたすらコロナだけ
恐れてるのが何か逆に面白かったです。
以前も
「願望とかの可能性を狭めないほうが良い」みたいな事を
書いたんですが、これも全く同じですね。
リスク要因を狭めまくる事でコロナだけをどんどん恐れて
しまうと他の要因を全く無視してコロナだけに縛られて
しまい、その結果ウイルスを封じ込めろとか全業種を
休業して完全にロックダウンしろ、
でも給付金は
よろしくとか極端な事を言い出すように
なってしまいます。
まあそういう事言う人はメシはウーバーイーツで、
生活必需品はアマゾンで注文すれば良いやとか言い出す
人が多くて、何で配達員やアマゾンの倉庫番の人は
働いている設定なのか?とか思いますが、それもまた
あまりにも狭めてしまった結果です。
ですからコロナから解放(?)されるにはリスク要因を
狭めず、
「何があっても死ぬ」ぐらいの心構えで良いと思います。
そうすると抽象的なものを抽象的なまま受け入れ、
理解出来るようになります。
前の記事にも似たような事を書きましたが、結局は
意識が焦点を絞り具体的な現象が起きているように
見せるわけですから、逆に言えば焦点を絞らない、抽象的な
ものとして受け入れる事は現象が起きる前、無限に
委ねるという事に繋がるわけであります。
余談ですが最近はコロナ関連でキレる老人も見かける
ようになって困ったもんです。
この前出先でスーパー銭湯行ったんですけど、ジジイが
「脱衣所で喋ってる奴がいる!喋るなって張り紙しとけ!
脱衣所だとウイルスから逃げられねーだろ!」とかフロントで
怒鳴ってるんですよ。
そりゃそうかもしれないけど、そこまでキレるなら
不特定多数が来るのがわかりきってる公衆浴場なんかに
来るなよ。
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