「会社を継ぐ事になったけど経営は思考なくしては
成り立たないのではなかろうか」という
メールを頂きました、ありがとうございます。
これは当然そうなんですが、見方を変えると
出来事に
対して思考するのではなく、思考した事を事実として
感じるという事であります。
例えばりんごが目の前にあったらりんごがあるから
何かを思考するのではなく、りんごやんけという思考を
認識するからりんごが存在するという事になります。
まさに
思考は現実化する、という話ですが、
これだと面白くないので別の例を挙げると、
ゲームのスーパーマリオでマリオはどんどん進んでいく
わけですが、途中でカメを踏んづけたり穴を飛び越えたり
して行きます。要はこれはカメだキノコだ何だかんだと
いう思考を認識してリアクションを起こしているわけです
よね。
という事はマリオがリアクションを起こさずスルーして
しまえば敵も味方も無い境地に達するのでは?と
いう感覚が、今まで自己だと思っていたマリオから離れる
第一歩であります。
しかしスルー戦法を取ったとしてもやっぱりカメは襲って
来るし土管から変な敵は出て来るしイカまで攻撃して
来るしでこれでは変わらないのでは?と感じて結局マリオ
に戻ってしまうケースが多いのであります。
個人的には
運命を受け入れよみたいな言い方は好きでは
無いですが、ここで受け入れるのは、それでも
マリオは
進んでいくという事です。
つまり思考を認識する事で現実というものが作られている
ので、思考を自己と捉えてしまいがちですが、
実際は思考は自己では無い。なのでスルーしようとなる。
この時点でプレイヤーとしては離れていきます。
しかしそれでもマリオは進んでいきます。
仮にずっと瞑想を続けてあらゆる思考を遮断しても
いつかは肉体は朽ち果てます。しかし思考が自己では
無いとわかっていれば肉体が朽ち果てても問題では無く、
むしろ肉体が生まれる前から存在したものがあらわに
なるだけです。つまり肉体が朽ちようが何だろうが
別に失敗でも何でも無いわけです。
それと同じでマリオはずっと進み続けます。
進み続けるマリオを止めようとしなければ
もはや自己とマリオは同一では無いのですから、
逆説的な言い方になりますが、マリオが何をしようが
そこに失敗というものは無くなるんですよ。
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