基本的に
自由意志というものは無く、我々は運ばれて
いるだけという内容をかなり前に書いた記憶が
ありますが、結局の所、願望だ何だも自由に選んでいる
わけではありません。
簡単に言えばその時その時の状況が色々絡み合った結果と
しての思考であって、それを願望だ何だと騒ぐ必要は
ありません。夏場は扇風機欲しいなと思っても冬場は
別にイラネーかみたいな感じですね。
更に言えばその時の状況が絡み合った結果として
「自分」という思考も出て来るわけで、
要はその「自分」が出て来る前の状態が本来のデフォルト
であって、誰もが、というか何もかもが本来はそこに在る
のであります。
なので願望に振り回されない事が肝心ですね。
どうしてもああしたいこうしたい、となりますけど
そもそもそれ自体が自ら選んだ事では無い、という事が
わかれば、スピリチュアル系でよく言われる
「潜在意識に委ねる」とか
「今に在る」という事に
なります。自分で選択したように見えるかもしれませんが
結果として良い感じになるのであります。
で、願望云々とは別に「今に在る」という事の
補足ですが、例えば夢を見ている時って夢がいつ終わるか
(いつ目が覚めるか)は知る事が出来ないじゃ
ないですか。
仮に目覚まし時計かけてても夢の中で今が朝の5時だから
目覚まし鳴るの3時間後だな、とかわからないですよね。
夢が何時何分に終わるものだと仮にわかっていれば、
夢の内容そのものにああだこうだ言わないで
その時その時の場面をとても大事にすると思うんですよ。
言い換えれば余計な思考が入ってこない状態に自然と
なるわけで、夢の中で過ごしているんだと思い込んでいる
自我と世界の分離が解消されるのであります。
だいぶ前の記事にもありますが、私は小学校に入る直前に
母を亡くしています。
今でもたまに母を思い出します。
公園から手を繋いで帰ったこと、幼稚園の初めての遠足で
お弁当を持たせてくれたこと、私が欲しがっていた
合体ロボを誕生日に買ってくれたこと。
どれも相当に美化された思い出とは思いますが、
仮に記憶がそのままで子供の頃に戻ったら、
母と過ごす日々をとても大事に集中して過ごすと
思うんですよね。それは母が早くに亡くなる事を
わかっているからこそです。
夢がいつ終わるかわからないという事は、
夢の中で
将来も生きていくのだという勘違いが出て来る
わけです。いつ終わるかわからない将来を見つつ今に在る
って明らかに矛盾しているんですよ。
それだと
今に在るんじゃなくて将来に在る事になって
しまいます。
なので逆に終わりを受け入れれば自然と今に在る状態に
なり、運ばれているだけの世界の一部として在る事が
出来るのであります。
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