「いわゆる目覚めたとか何だとかの状態は、目覚める前と比べていくつも選択出来たり的確な対応が出来たりみたいな事に
なるのか?」というメールを頂きました、ありがとうござい
ます。
まあ目覚めたとかは何ぞやという話になってしまいますが
それは取りあえず置いといて、いくつも選択出来るとか
対応が出来るようになる、という事はありません。
これ早い話が何かしら行動なり選択なりをしている個人を
実在と捉えるか、否かの違いと言えます。
例をあげると例えば地上から5センチぐらいしか離れて
いない足場に立ってたら別に怖くも何とも無いですよね、
でもこれが地上100メートルの足場だったら相当に怖いと
思います。
高くておっかねーとか落ちたらどうしようとかの
恐怖は全て概念ですよね。概念が様々な選択やそれに
対しての対応を呼ぶわけで、つまり足場に立っている
"だけ"ならそれらの概念は起きてこないわけであります。
つまり
立っている"だけ"になるという至極単純な話
なんですね。
ですから選択とか対応とかをする必要が無くなるという
方が近いです。夢の中で何かしら問題に追われても
夢を見ている"だけ"であるならば選択も対応も
ありませんよね。
前回の記事と被りますが、果たして実在とは何か?という
話でした。
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