「スピリチュアル系の話で他人は存在しない、とか
自分も存在しない、という話はどう解釈すれば良いのか?
」というメールを頂きました、ありがとうございます。
これは前の記事でも同じような事を書いたので短めに
説明しますが、ルビンの壺で顔が存在すると思えば
壺が消えて、壺が存在すると思えば顔が消えるのと
同じですね。
なので存在するしないは概念をどの角度から見るかという
だけで、
"何が"存在しているのか?というのは大した
問題では無いです。
"何をもって"存在しているのか?
というのが肝要であります。
自己とは何か?何をもって自己と認識しているのか?
という事です。
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