「スピリチュアル系の書籍やら何やらを色々読んで
これこれこのような感覚を得たのですが、やはり感覚を
大事にすべきですか?」的なメールを頂きました、
ありがとうございます。
これはこの方の感覚がどのようなものか詳しくわからない
ので何とも言えませんが、感覚云々というのは却って
邪魔というか、スピ系難民になる可能性が高いです。
なんでかつーとですね、確かにスピリチュアル的な
目覚め(?)だと多幸感や何か解放されたような気分に
なる、というのはありますが、結局それは
全て過去なんですよね。
例えに品が無いですけどメチャクチャ身体の相性が良い
異性とヤッた後に
「いやー、イイ女だったぜ」とか
「デカいチン◯ン最高や!」とか感想を述べるのって
文字通りヤッた後、じゃないですか。
つまりこれだと今に在ってなくて過去に在る状態なんで
すよ。
今に在る時って感想は出てこないので、
スピリチュアル的な目覚めとか多幸感とかは全部感覚に
後付けして過去に在るだけです。
しかしながら多くの方がその感覚を追い求めてしまうん
ですよね。でもその感覚は過去のものであり過去を
思い出そうとしているだけなので、これだと今に在る
じゃなくて過去に在る状態が続くことになります。
つまり
感覚というのは記憶、過去の思い出に過ぎません。
なのでスピリチュアル難民の方はまず間違いなく過去に
在り続けてしまっています。ですから素晴らしい感覚に
包まれた事があったとしても、それを感覚として説明
したり思い出したりする時点でもう過去に在ろうと
しています。
ですから感覚を求めるのではなく、今の状態に在り続ける
事が肝要であります。
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