スピリチュアルでよくありますけど実際は存在しないとか
今に在るとか何か矛盾しているような表現が多いですが、
どうしても自我の範疇で理解しようとするとなかなか
難しいものがあります。
今回ちょっとややこしい話になりそうなんですが、
これは例えるなら肘の関節は腕の骨と前腕の骨で
構成されているわけですが、肘の関節という物体は
存在
しないんですよね。あくまで腕と前腕の骨が噛み合うから
結果的に肘関節という名称の構造が存在するわけで
あります。
なのでスピリチュアル的な概念がややこしいのは
この肘関節の部分を指し示している表現が多いから
ですね、本来存在しない肘関節を探し始めてしまう
わけです。
つまり意識が腕の骨で自我が前腕の骨なら、それらが
噛み合う事で世界、つまり肘の関節が存在し動いている
かのように認識するわけです。
更にこれを逆説的に言えばまず肘関節という概念が在る
からこそ、こっちが腕の骨でこれは前腕の骨という概念も
生まれるわけで、結局は自我も意識も世界も全て
概念上の
存在に過ぎないという事です。
概念を色々組み合わせてこれが自我でこれが意識でこれが
世界でとやってるだけで、全ては概念上の遊びに
過ぎません。
なので実は存在するもの自体が何処にも無いので
あります。
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