「嫌なことや気に入らないものを放置している状況は
全てを受け入れている事ではないのか?全て受け入れ
られれば楽になれるのか?」というメールを頂きました、
ありがとうございます。
これはまあ受け入れる云々とかは置いといていかに自我が
楽になれるかどうかという事だと思いますが、基本的に
自我というものは
楽にはなれません。何でかというと自我と認識は表裏一体だからであります。
前も書きましたが骨と骨が合わさり動いているように
見えるのを関節と呼んでいるのと同じように世界を認識
する為に自我があります、しかし自我があるように
感じるが故に自己に問題が降りかかるように感じ、
その問題をどうにかしたい、あるいは自我を楽にしたいの
繰り返しを行っているのが殆どです。
なので気に入らないものを放置も受け入れるも結局は
自我が"放置している"とか"受け入れた"とか判断している
だけで実は何も変わっていません。
先程の関節の例えで言うなら肘を90度曲げようが
45度曲げようが前腕の骨と上腕の骨が動いただけで、
新たな関節が生まれたわけではありません。
更に言えば肘が曲がったとか真っ直ぐだとかの現象、
つまりゲームで言えば現れた
コンテンツに対しての
リアクションを行うのが自我なので、コンテンツに対して
自我がどのように感じて振る舞うかをコントロールする
事は出来ません。これを言い換えると
自由意志が無い、となります。
というわけで特に何もしなくても受け入れざるを得ない
ので変に意識しない方が良いという話でした。
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