スピリチュアルでよく言われる真理に近付く手段云々と
いうのがありますが、基本的に自我は近付くとか前進する
とか、常に
運動の概念にとらわれています。
早い話、自我が人生と呼んでいるものは万華鏡のように
一定のパターンで回りながら色を変えているもので
あって、その色に対して赤が良いとか青は嫌いとか
言っているわけです。
赤をもっと出したいので何かをすれば赤が出てくるんじゃ
ないかと色々と働きかけようとするわけで、それが瞑想
だったり何だったりという"運動"になるわけです。
それでもまあ赤が出たり出なかったりするわけで
そうするとまたやり方変えて色々やるわけですが、
これ実は因果関係が逆です。
例えば腕立て100回やったから大胸筋がデカくなった、
と思いますが大胸筋がデカくなるのは既に決まっており、
デカくなるのを自我が確認する為に腕立て100回という
行為が現れます。
これは決定論・運命論的に聞こえるかもしれませんが
これがわかると自我が
人生と呼んでいる幻から解放され、
本当の意味で自由になります。
ずっと幻の中で前進し続けるという運動から解放されて
静寂として在り続けるのであります。
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