そもそも何でスピリチュアル的な話はややこしいというか
ブッ飛んでいるかというとまず我々は人間である、という
思い込みというか設定が少々厄介であります。
例えば犬や猫は「俺は犬だ」とか「吾輩は猫である」とか
思ってないわけで、一つの個体として活動しているわけ
ですが人間の場合
「自分はこれこれこうで性別はこうで
体格はこうで」みたいな、ざっくり言うと
物理的な肉体と
心理的な肉体、が別々に在るかのようになっているわけ
ですよね。
で、自我が拘るのは大体心理的な肉体の方で
例えば「金があって、自分はイケメンでありたい。でも
実際は貧乏でブサメンなんですが」という場合、
心理的な肉体と物理的な肉体の乖離に対して自我が苦しむ
わけですよね。これを拗らせて物理的な肉体を破壊して
しまえとなるのがいわゆる自殺です。
これに対して心理的な肉体をブッ壊してしまうのが
スピリチュアル的な何かであります。
そうすると物理的な肉体は世界を構成する一部として
まさに世界と一体となり活動を続けますが、
心理的な肉体は存在しないのでまさに今に在る状態に
自動的になります。
今に在ろうとするのも心理的な肉体なわけで、
これが却って今に在ることを邪魔します。
つまり心理的な肉体が無くなると残された存在は
何にも邪魔されず活動三昧、三昧の境地であります。
アニメ
「新世紀エヴァンゲリオン」だと人類の肉体を
無くし一つの意識になるのが人類補完計画とされて
いましたが、それの逆バージョンみたいなモンですね。
PR