「現在の定義って未来と過去の狭間なので、だとすると
スピリチュアルでよく言われる未来も過去もないなら
今はどこにあるのか?」というメールを頂きました、ありがとうございます。
前も書きましたが今を感じましょうとか今に在るって
右眼を右眼で見てみましょうとか左足を左足で踏んでみろ
とか言ってるのと同じで
基本的に無理です。
なのでそのような試み自体をやらない方が良いです。
そもそも何で今を探そうとするのかっつーと、
何かそっちの方が良さそうとか何か色々上手く行きそうと
いう期待があるからだと思うんですよね。
しかしですね、今に在ったところで別にお金が入って
くるわけでもないし恋人が出来るわけでもないし
喧嘩が強くなるわけでもありません。
というのを聞いたら言い方悪いですけどスピリチュアル系
に縋っている人達は絶望すると思うんですよね。
絶望すると今に在ろうもクソも無く、もう何もかも
終わりや、何の意味も無かった。となるかもしれませんが
その瞬間、つまり過去を意識する事も無く未来にも
期待しないその瞬間が今であります。
つまり今に在ろうという試み自体が過去や未来を
わざわざ作ってそこの隙間に入り込もうとする無理ゲー
なんですよ。
であるならば最初から過去も未来も無い状態が実は
デフォルトであると知る事であります、そしてそれを
垣間見るのは
未来への希望では無く今に対する絶望なんですね。
絶望するからこそ過去や未来、そして今に執着する自我を
断ち切る事が出来るわけです。
人生オワタ、ならばもう過去や未来も無いって事ですから
最初から今にしか居ないんですよ。
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