前回の記事の続きみたいになりますが、今に在るとか
どうしたこうしたというのを体感出来るかどうかと
言うと、基本的に自我で体感するというのは難しいです。
何でかつーと自我の働きというのはその名の通り
自分・我があるという感覚なので、自分にとって都合が
良いか悪いかしか判断しない所があります。
言い換えれば記憶を頼りにどれが安全か?を常に探して
いるものなので例えばお金が増えたら安全、無くなったら
危険とか、こっちを選んだらヤバそうだけどこっちなら
セーフとか、ものすごく雑にまとめると
ヤバいかヤバく
ないかの判断を勝手にやってるだけです。
こうして記憶からあの時はこうだったからとか
この時はこうしたからとかで行動を勝手に決められ、
そしてそれが自己の意志に基づく自己の人生であると
誤解し、結果として
"私"は存在する!と認識させるのが
自我の仕組みであります。
なので今に在る云々とかもそれは自我にとっての安心感
であって、体感を求めるものではありません。
重要なのはこれは安全とかこれは危険とかの判断を勝手に行い、それに基づき勝手に人生を生きていると誤解している
という認識に立つ事です、
別にこれは赤信号でも突っ込めとか明らかに賞味期限
切れてるのに無理矢理食えとか言ってるのではなく、
自我の判断のもとに動かされていたのだと知る事で
あります。
つまり最初からあなたの人生なんてのは無いし、
人生を動き回っているあなたも居ません、
不動であります。
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