スピリチュアル系でよく言われる自由意志があるとか
無いとかは実際の所、どうでも良い話なんですが
そもそも意志を決定するというのは
枠組みの中に
居るからこそ、という前提があります。
例えば将棋とか囲碁とか自分の意志で次の手を指したり
打ったりしてるように思えますが、あくまでも盤面の中と
ルールの範疇であって自己の意志で考えているという
よりは
"考えさせられている"という事になります。
なので人生において何らかの苦悩とか希望というのも
あくまで盤面の中のモノであって、それについてあれこれ
考える必要もありません。
特に厄介なのは希望を持つ事で、ポジティブに捉えている
時はともかく、希望を求めすぎると結局それが盤面の
中での足枷となる事が多いです。希望を持つなとは
言いませんが苦悩も希望もそれらは
"持たされている"ので
あります。
持たされているのであれば、すぐに捨てる事も出来るし
捨てた所で何も問題はありません。
もっと言えば自由意志がどうのこうのという話・概念
ですら自己の人生という枠組みがあるという前提での
モノになります。
例えば将棋で駒が勝手に動いていくかのように見える
ナントカ戦法というものがあったとして、
じゃあそれを勉強しようとなるのは将棋の盤面とルールが
ある事前提ですから、将棋自体が無かったらナントカ戦法
を勉強する事が特に意味が無い話になります。
というわけで言葉や文章はよく言われるように
月を指差す指であって月では無いので、
どんなにスピ系のありがたい話を読んだり聞いたりしても
その辺は忘れない方が良いと思います。
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