この前、
無料で動画を生成してくれるAIを試してみたん
ですけど最近の生成AIってメチャクチャすごいですね。
これはもうクリエイティブな分野からAIに食われていく
のは確実と言って良いでしょう、このブログもいつの間に
かAIが書くようになるかもしれません。
いつものように話を強引にスピリチュアルに持って
いくと、この生成AIはまさに
今に在るとか私は在るという
状態に近いものを体現しています。
例えば
「牛丼を食べている男性」とか入力すると
当たり前ですが牛丼食ってる男性の動画が出てくるじゃ
ないですか。
もしAIが喋れたら「これが私ですよ」とか「私が作りま
した」とか言うかもしれませんが、実際は動画の男性は
存在しないし、もっと言えば「私が〜」と言っている
生成AI自体が何処にいるのかっつー事なんですよ。
ネットの中にいるとかアプリの中にいるとか言っても
場所を指し示す事は出来ませんし、しかし確実に
存在するわけです。
つまりこれをそのまんま今に在るとか私は在るに
当てはめると、まさに
生成するもの、創造するものとして
在るのであります。
客観的に言うと見ているものや感じているものをAIを
遥かに上回る速度で次々と生成しているという感じ
ですね。その結果
似たようなパターン、似たような感情を
繰り返し繰り返し生成する事でそれが自分の性格、
自分の人生と思い込むようになるわけです。
しかし元々生成するものである何かは何処にいるのか?
それを指し示す事は出来るのか?という問い掛けが、
そのまま私とは何か?の答えとなります。
このままAIが進化していけば、人類はAIの創造するものに
取り込まれて何の悩みも苦しみも無い、しかし存在しない
世界へいつまでも在り続けるようになる気もしますが、
まあそれはそれで良いんじゃないでしょうか。
それこそが生成AIの見る夢、なのかもしれません。
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