「瞑想を行っていますがあまりスピリチュアルな気付き
みたいのが無いのでどうすれば良いのか?」的なメールを
頂きました、ありがとうございます。
瞑想とスピリチュアルって関連付けられる事が多いで
すが、正直あんまり気にしなくても良いんじゃないかと
思います。
基本的に瞑想すると当たり前ですけど
瞑想が上手くなるんですよ、瞑想のスキルが上がるっつー事ですね。
これはよく考えれば当たり前の話でスケボーを毎日やって
いればスケボーのスキルは上がるし、別にスポーツじゃ
なくても仕事の準備とかも毎日やっているからスムーズに
なるわけですよね。
つまり瞑想そのものが上手くなる事とスピリチュアルって
関係ありそうで無いんですよ。
では何で瞑想と関連付けられる事が多いのか?という話に
なりますが、
瞑想という機能の体現が肝要であります。
機能の体現とは何ぞや?と思われるかもしれませんが、
以前も似たような話を書いた気がしますが例えば棒が
一本あっても単なる棒ですが、二本の棒を指で挟んで
動かすとお箸みたいな動きになりますよね。
でもこれはあくまで二本の棒であって
お箸って存在しないんですよ、二本の棒を使って何かを挟む機能を
お箸(みたい)と名付けているわけです。
なので瞑想と言っても色々やり方はあるでしょうが例えば
リラックスしろとか鼻から呼吸しろとか宇宙のパワーを
感じろとか、姿勢を正せとかエロい事考えるなとかは
全てこうすればお箸を上手く使えますよと言っているのと
同じで、肝心なのは瞑想とは機能の体現であって瞑想と
いうものは存在しないのだ、という認識であります。
スピリチュアル的な体現を目的に瞑想しているのに
上手くなったのはエロい事を考えなくなっただけ、
つまりお箸の使い方が上手くなりましたでは本末転倒と
言えます。
そうではなくてエロい事を考えないようにとする意識、
実際にエロい妄想が静まり落ち着いた身体の感覚、
これらが合わさってお箸の如く現れる機能が俗に言う
瞑想状態と言われているものであります。
こうして見るとあらゆる物が何かと何かが合わさり、
そこに機能として現れているだけで
実在しているものは
実は何一つ無い、という事が分かるのであります。
で、話を瞑想に戻すと本来はスポーツでも何でも
前述した
"機能の顕れ"という視点で見れば全て同じなの
ですが、瞑想は基本的に一人でリラックスした状態で
行うものなので機能の顕れという視点に気付きやすいと
いう点では優れていると言えます。
二人で向かい合って殴り合ってて、これはボクシングと
名付けられた機能の顕れなのだ!とか言った所で
やってる当人同士からしたらうるせーよとなるだけ
ですし。
しかし合気道なんかだと武道とは"動禅"すなわち動く禅
なりみたいな事を言っているので、目指す所は同じなの
ではと思います。
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