「自我が幻とわかったのでウンタラカンタラ
しかしその感覚が失われてしまったので困惑している」的なメールを頂きました、ありがとうございます。
これはかなり昔にも書いた気がするんですが
基本的に感覚を拠り所にするのはあまり良くないと
思います。
理由としては例えば「今に在る」感覚を得たとして
次の日に何かトラブルに遭遇したので、つい先日
身につけた今に在る感覚で乗り切ったとしましょう。
まあ乗り切ったんだからこれで良いんじゃねえの?
と思うかもしれませんが、これだと今に在るんじゃなくて
昨日の感覚を持ち出してるわけですから
過去に在る事に
なってしまいますよね。
逆に何か上手くいかなくてこれじゃあダメだと思っても
それもまた昨日の感覚を基準にしているのでやっぱり
過去に在る事になります。
なのでスピリチュアル系で感覚的な説明はよく出てきます
が、基本的に
アテにしない方が良いです。
説明する方が書籍なり何なりに書く時は私が修行の果てに
体感した光は、とか、あの時に私は神を見たのだ、とか
の表現をせざるを得なくなるのはしょうがないんですが、
読む方がそれに振り回されるとあの時の感覚をもう一度
みたいな、いつまでも昔の恋愛引きずってるような感じに
なるので、スピリチュアル的な話を聞いてこれは感覚的な
何かを得る事だと思ってしまうと堂々巡りになる恐れが
あるのでその辺は注意した方が良いかもしれません。
結局は何かを得る事も無いし、何かを失う事も無いので
あります。
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