「動物にもいわゆる自我はあると思いますが人間よりかは
本能に近いと思うので、実はスピリチュアル的には人間
より動物の方が優れているのではなかろうか?」という
メールを頂きました、ありがとうございます。
これは
鋭い指摘であります、そもそも人間も動物の一種
ですが何が人間と動物を大きく分けているのかというと
人間の場合、そのまんま
「自分は人間である」という
意識が人間たらしめていると言えます。
基本的に犬とか猫とかは人間側からの分類なので、
犬や猫は自分達が犬という生き物であるとか吾輩は
猫であるとかは思っていないはずであります。
しかし人間だけが明確に自分は人間である、という
フィルターを通じて世の中を観たり感じたりしています。
なのであらゆる行動や思考の基準が全てこの
「人間である」に集約しているとも言えます。
極端に言えば人間である、が前提になっている
スピリチュアル的探求は全て前提がおかしいという事に
なります。
ですから取りあえず人間であるという事を置いくと
ですね、では一体誰が何の為にスピリチュアル的な
気付きだ何だを求めているのか?動物と人間の根底に
流れている意識は同じであって実は区別が無いのでは
ないか?そもそもスピリチュアル的な探求自体が
自分は人間であるという
虚像から発した一人芝居のような
ものではないか?という事が感覚的にわかります。
ヨガの修練でも
動物になりきるっつーものがあるそう
なんですけど、これももしかしたら人間という意識を
抑えるという意味もあるのかしらとも思いますね。
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