「結構前ですが仮に願望が実現してもそれに喜ぶ自我が
居ないという事を書いてましたが、どういう事か
イメージが湧かない」というメールを頂きました、
ありがとうございます。
例えば寝る時には当たり前ですけど「もう寝るか」と
なって布団なりベッドなりに入りますよね。
でも眠りに入る瞬間てわからないじゃないですか、
イメージとしてはこれに近いと言えば近いです。
寝た瞬間に
やったぜ、寝たぜ!とか言わないでしょうし。
前回の記事と少し被りますが、要は「寝る」という行為は
意識が「寝る」という状況を作るために寝る対象を必要と
するわけですよ、つまり
受動的な対象が概念である私で
あり自我となります。
なので「私が寝る」のではなく、意識が「寝る」のが
先なんですね。
願望がどうのこうのというのは寝るために羊を数えるとか
アルファ波が出る音楽を聴くとか、開き直って起きてる
とかそういった自我からすると能動的に感じる行為な
わけです。
ですから
意識がまず先であって、本来は受動的にならざる
を得ないのだと知る事が肝要です。
で、話のスケールを大きくするとこれと同じで生きている
とか死んでいるとかも意識が先に生きるとか死ぬとかで、
生きるという状態を作るのにも死ぬという状態になるに
しても意識は
生まれた事も死んだ事も無いので、
それを体現するには自我という幻を必要とするわけです。
なので概念としては我々は生きているわけでも、
死んでいるわけでも無いという事がわかるのであります。
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