「何かになりたいなら既にそれになった事をイメージしてどうのこうの」というのは
願望実現系の書籍とかでよく見る表現ですが、
実際問題「なった」ってイメージしづらいですよね。
余裕で出来るよって人なら別に構わないんですが、
例えばサッカー選手とか野球選手になったと言っても、
なってみて初めてわかる事って多々ありますよね。
ですからなりたいものの情報をひたすら集めなさいみたいな事を
説いている方も居るようであります(イメージが具体的になるからだよね)
まあ少し話が逸れますが、結局は我々が「自分」であると思っているものは
情報の寄せ集めであって真実ではありません。
情報を集めれば集めるほど、自分にとって「良い」情報と「悪い」情報が
積み重なっていきます。パソコンが使ってるうちにどんどん重くなるのと同じですね。
なのでまずは
「良い」「悪い」を超越する事であります。
よくあるのが「金に困っているが、ある特定のメソッドで金がジャンジャンバリバリ
入ってくるのか」というものですが、これは前も同じ事書きましたが「金に困っている」
という思考だか概念だか感情だかを感じているわけで、感じる事が出来るっつー事は
それらの感じているものは自分ではないので、この時点で「困っている」は
秒殺解決であります。
夢の中で「これは夢だわ」と気付いたら、夢の中で困っていても
何も心配しなくなるのと同じです。
何らかの困った事なり何なりがあるからこそ、どうにかしようと願望と呼ばれるものを
抱くわけで、別に困る事も気に病む事もイライラする事も無かったと気付いた時点で
既に願望は叶いました、というより最初から叶っていました、おめでとうございます。
覚醒している時も、夢を見ている時も、グーグー寝ている時も、
全て同じであります、それらの背景には「無」しかありません。
「無」がなんとなく寂しい言い方だと思ったら「意識」でも良いし、
「神」でも良いし、あなたがAKBのファンなら「大島優子」でも良いし、
お約束の
「すき家の意志」でも結構です。
覚醒した(起きた)時点で「無」が形を変えて様々な物になります。
そして「自我」と言われるものも、やはり「無」が変形したものであります。
「自我」を通して「無」が形を変えた物、すなわち自分の部屋だとか会社だとか
友達だとか恋人だとか近所のオッサンだとかを認識し、創り出します。
つまり
世界はイコール自分であり、壮大な自作自演のゲームであります。
(おまけにグラフィックは
神グラだし)
このゲームを楽しみたいから本来「無」であったあなたはわざわざ自我というものを
創り出し、毎日笑いあり涙ありのゲームを楽しんでいます。
つまり一昔前に流行ったTRPG(テーブルトークRPG)で言うなら
ゲームマスターとプレイヤーを一人二役でやってるようなものであります、
別に自我を消そう消そうと頑張る必要もありません。
まあそのうち結構消えるっつーか、自我と目の前の机とかも
同じ物として感じる=元々全て無が形を変えたものだから になります。
(一般的な感覚だと私の心=内側であり、それ以外=外側 ですが、
内も外も無い感じ。この辺は蛇足です)
話がかなり脱線しましたが、結局あなたの本質はワクワクさんであり
少々クサイ言い方をすれば
愛なのであります。
ですから「何々が足りないから~」とかでああだこうだ言うのではなく、
「何々が足りない」を創り出している本来のあなたに戻れば、
本来のあなたは満たされてもいないし、足りなくもない、
それらを超越しているわけですから、結局は最初から叶っている(という言い方は
少し違和感がありますが)のであります、おめでとうございます。
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