何度かお薦めしていますがダグラス・ハーディング
「今ここに、死と不死を見る」と
いう書籍は非常に面白く、かつユニークな本であります(でも翻訳はイマイチ)
この本に紹介されている様々な「実験」で自らの
不死性を確認できるという
優れものです。例えばAさんとBさんが向かい合っていて、AさんがBさんの方に
どんどん近付いていけば、やがてAさんからBさんの姿は見えなくなり、
結局AとBの区別は無くなるというような事が書いてありますが、
これはまさにお手軽に「一つである事」を体感できるものであります。
上記の事でもわかるように、結局はピントをどこに持ってくるかだけの話であって、
一つだ何だっつーのは、実は非常にシンプルなのです。
AさんとBさんの区別が無くなるという事は、文字通り区別が無いので、
仮にAさんがBさんに対してムカツクだの何だのと思っている事は、
まさに自分に言っている、もしくは全く意味の無いものとなります。
この時点で
既に対立は終わり、真の平和が訪れたのであります。
スピ系だと悪口は言ってはならんとか、ネガティブな言葉はネガティブを呼ぶとかと
いった表現がありますが、実際は
悪口とかは無意味、悪口を飛ばす対象が
居なくなってしまうからという表現の方がしっくり来るのではと思います。
毎日毎日「ネガティブな事言わないようにしなきゃ!」なんて疲れますしね。
が、ここも勘違いすると「俺は真実みたいのを知ってるから、馬鹿どもには悪口を
言わないぜ」みたいな全然見当違いの上から目線になってしまいます。
知っているのではなく、
元からそうだったという事です。
何かを知識として得るのではなく、最初からそうなのであります。
余談ですが、野球やサッカーでみんなで円陣を組んで気合を入れたりしますが、
あれなんかも上記の「実験」の延長線上な気がします。
つまり元から我々は、やはり真理のようなものを知っているのでしょう。
「一つである事」が深まっていくと、壁に蟻が這っているのを見るのと、
自分の腕に蟻が這っているのも同じと感じます。
これは思い込みとかイメージではなく、そうとしか感じられなくなります。
AさんとBさんの距離が離れている場合は二人いるように感じますが、
どんどん近付けば二人という概念が消えていくのと同じで、
ピントがどこに合っているかの違いなのです。
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