こんなブログ書いといて何ですが、個人的に私はあまりにも
オカルトバリバリの奴(月面着陸は無かったとか、アメリカ大統領と
宇宙人グレイが密約しているとか、高次元存在と友達になったとか)は
否定はしませんが、全然信じていません。
が、いわゆる
「生まれ変わり」とか
「パラレルワールド」は
意外と有りなんじゃないかと感じます。
何でかっつーと、前回も書きましたが我々が我々としてその存在を認識しているのは、
早い話が
ピントを合わせている位置が何処にあるのかというだけであります。
簡単に言えば顔を思いきり前に近づければ、PCは確実に「消える」はずです。
つまりPCの存在は絶対的なものではなく、まさにピントの位置によって
確定されるわけです。
ですから究極的には我々や私、あなたという「存在」も「無い」のであります。
なので「私の記憶」「私の思考」も実は無い、というより
ピントの位置に対応したものが出てきているだけで、特に深い意味は無いのです。
つまり「自我」が自我であるためには思考や感情、記憶が不可欠ですが、
これらが特にどうでも良いものとなってしまうと、行き着く先は
自我の消滅であります。
一般的な感覚だと、自我の消滅はイコール
「死」と考えてしまいますが、
あくまでも自我が無くなるだけで
誰も死ぬ者は居ません。で、とりあえず自我が消滅して、新たに自我が芽生えるのが
世間一般で言う
「生まれ変わり」に近い感覚なのではなかろうかと感じます。
これを利用すれば「時間を移動」どころか世界そのものを移動してしまうという、
まさに
厨二病も真っ青の平行世界がどうたらこうたらという話に
なってしまいます。
これを体系化して、100万ペソぐらいで売って大儲けと考えましたが、
問題はAの世界からBの世界へ来た(生まれ変わった)「自我」がAの世界の事を
すっかり忘れているわけで(というより覚えてたら生まれ変わりじゃなくてただの引越しだし)
これではメソッドというより単なる妄想であります。
結局、世界を移動しようが何をしようが「自我」が存在を保てない時点で、
「自我」は極めて限定された領域でしか存在できないものであります。
やはり「自我」を自分だと認識しているのは、大いなる勘違いなのです。
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