「もしも寝たきりになって仕事も遊びも出来なくなり、彼女も去っていったら
どうしますか?」というメールを頂きました。
これに対する答えは
「いいですとも!」であります。(最近DSでFF4をやった)
何故、それでも良いのでしょうか?
それは
気が狂っているから寝たきりになる者や、仕事も遊びも
出来なくなる者や、彼女が去っていった者は、
居ないからであります。
なので本当は「いいですとも!」と
言っている者も居ないのです。
大変に抽象的な話になってしまいますが、
寝たきりになったらと心配したり、寝たきりになって苦しんでいるのは
全て偽りの私であります。
「私が」寝たきりになってうんたらかんたらなのですから、「私が」居なくなれば
何も問題はありません。「私が」居るから、寝たきりっつー言葉にアレルギー性鼻炎の
如く過剰な反応を示すわけで、「私が」消えてしまえば、というよりそれは偽りだと
わかれば、何もする必要は無いですよね。
つまり全てに置いて
開かれた存在になるっつー事であります、
全てが真の私を通過していくという事です。
余談ですけど、私は別に悟ったわけでも何でもありませんが、
「悟りを得る」でも「悟りを見る」でもなく「悟りを開く」って
絶妙過ぎる表現だと
思います、まさに真に悟ったインドとかの聖人は開きまくっているのでしょう。
だとしたらあの何故か上半身裸のコスチュームも何となく頷けます。
で、これと似たような話で、
「知らんさんは彼女と喧嘩した時、”悩みは自分ではない、
ハイ解決!”で何事も無かった顔で接して、テメエ何涼しい顔してんだとか言われて
怒りのローキックを喰らったりはしないのですか?」というメールも貰いました。
この辺は矛盾するようでややこしいのですが「悩みは自分じゃないから解決」と
思ってる者も実は居ないわけで、「悩みは自分じゃないから~」という概念を
持って涼しい顔で接すると、それは偽りの私が意識してやっている
演技と
なってしまいます。「悩みは自分じゃない云々」はあくまで感覚的なものを
後付で無理矢理文章にしているという事に注意して頂きたい次第であります。
結局普通に接する、というよりその時の空気でどう接するかは
勝手に「真の私」を通じて出てくるわけで、別に怒りのローキックを喰らおうが
怒りのDDTを喰らおうが、オマエには愛想が尽きた二度と会わねえーーと
言われても、知らんモンは知らんのであります。
で、その後に「女に逃げられた者は居ないでござるニンニン」と涼しい顔もしません。
前述したように、これだと概念のみの演技になってしまいます。
もちろん涼しい顔で済ませられる感情が出てくればそれで良し、
泣きわめいて彼女の後を追いかけるのも別に良し、
「私は復縁したいです助けてください」とかスピ系の掲示板に書くのも良し、であります。
ややこしい話になりましたが、結局の所は自由意志があると勘違いしている自我で
どうこうしようとするのではなく、全てを開いて受け入れて真の私に委ねた方が
ホイホイ話が進んで早いよっつー話でした。
というわけで私も明日から浮気しまくって
いいですとも!と力強く言いたい所ですが、命が惜しいので止めておきます。
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