前も書きましたが、生と死、そして夢の中は
全て同じであります。
それらを、それらとして成り立たせているバックグラウンドが真の私です。
夢の中で様々な出来事があり、例えば空からお金が降ってきたとします。
もちろんこのお金は幻想であります。しかし夢の中ではおそらく喜ぶでしょう、
幻想に対し感情や思考が出てくる、つまりそれらも幻想です。
で、起きてから会社行ってボーナス貰ったとします。
おそらく喜ぶでしょう、しかし夢と生(起きている)は同じなので、
やっぱりボーナスは幻想で、ボーナス貰った嬉しいなとか
何買おうかしらとかの感情、思考も幻想であります。
昨日書いた奴の繰り返しになりますが、幻想であるとわかってるっつー事は、
ボーナス貰って
喜んでいる者は居ない、という事です。
で、ここで勘違いしやすいのが
「お金貰っても喜ぶな」という意味では無い、
という事です。喜んでも良いし、喜ばなくても良いのです。
どっちに転ぶかはわかりません、別にどっちでも良いのであります。
夢の中でも、空からお金が降ってきて、それが100万円の札束だったら
喜ぶでしょうが、千円札一枚だったら微妙かもしれません。
どちらにせよ夢なので、喜びの感情も、或いは微妙だわ~とか
ぼやいてる思考も幻想、俺はどうして千円程度の価値しか無いんだとか
喚いてる自我も幻想、もっと言えば
それらとあなたは何の関係も無いですよね。
起きている時も全く同じであります、夢の中よりちょっとだけ自我がハッキリくっきり
喚いてるように感じるかもしれませんが、ただそれだけであります。
なので、別にどのような感情が出てこようが構わないのであります。
さて、一切合切構わん、知らんという境地になってしまうとどうなるのか、
それはもはや
あなたを困らせるものは無くなった、という事です。
ボーナスの大小で悩んでいても、それらに関することが全て幻想なら
もうその悩みは終わりです。悪夢から逃げたいと願うなら、一番簡単なのは
夢だと気付いてさっさと目覚めてしまう事です。
ではこれでボーナスが増えるのか?と自我が喚くでしょうが
ハッキリ言って、増えるわけありません。しかし、もはやボーナスの大小で悩む者は居なくなったのですから、
自我の絶叫で右往左往する者も居なくなったという事です。
後に残るのは生と死、そして夢の中でそれらを成立させているバックグラウンド、
言い変えれば、意識とか神とかすき家の看板とか言われているものであり、
この瞬間にあなたは
ゲームそのものになったのです。
麻雀ぽく言うなら「流れ」に乗ったのであります、
麻雀よく知らないけど。困る事も悩む事も無いなら、結果としてボーナスは増えるかもしれません。
或いは会社辞めて独立して毎日が給料日になるかもしれませんが、
どうなるかは知りません。
夢の中で予測したって意味が無いからです、というより夢の中では
時間という概念が
無いので予測は成り立ちません。成り立つと思っているのは自我だけで、
やはりその「予測して、どうなるか考える事は成り立つはず」という思考は幻想です。
結局、あなたを困らせるものは最初から何も無かったのであります、
困りたいから困っているだけだったのです。
恐らくこれを読んで「じゃあどうしよう、どうしよう」となってしまう人も
いるかもしれませんが、まさに困りたいから困っているわけですよね。
夢だからこそ、どうも出来ないのです、そして夢(幻想)だからこそ、
どうなったって放っとけるのです。
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