前回、ちょっとだけダークナイト(バットマン)の話題を書きましたが、
バットマン最大の宿敵と言えばジョーカー、
ジョーカーと言えばババ抜きであります。
実は、
ババ抜きというゲームは存在しないのです。
存在しないと言うと語弊がありますが、トランプをいくら眺めても
ババ抜きというゲームが「そこにある」と言う事は出来ません。
同じように麻雀牌をいくら眺めても、麻雀というゲームを示す事は出来ません。
ババ抜きとはババ抜きをプレイする者がルールを理解し、ルールに従って
プレイする事で、
初めて観念としての「ババ抜き」は存在するのであり、
「ババ抜き」というゲームが目に見える形で出現する事はありません。
で、話が一気に飛びますが、ババ抜きと同じく幸福とか不幸も存在しません。
それはゲームをプレイする者の観念としてだけ存在し、形があるものではありません。
ゲームをプレイしていると、どんなに幸福になっても不幸は付きまといます。
幸福とは、不幸が無ければ幸福を感じられないからです。
同じように不幸も、幸福が無ければ感じられません。
なのでいつでも幸福、というより幸福とか不幸とかを超越するには、
前から書いていますが、ゲームを止めれば良いのであります。
つまり
「ババ抜き」は存在しない、という事を喝破すれば良いのです。
「ババ抜き」とはゲームをプレイする者の観念にしか存在できない、
それは自由意志が存在しないという事にも繋がります。
「ババ抜き」という存在しないゲームを存在するように感じ、
自分の意志でプレイしているかのように感じていただけだったのです。
ここまで来ると、もはや「願望」という言葉は意味を成しません。
何故なら「願望」とは存在しないゲーム「ババ抜き」で勝つために(幸せになるために)
必要だと思い込んでいた幻想だからです。
別にゲームに勝つために願望は必要無かったのです、
ゲーム自体無かったし。ゲームが存在しないと気付いた時から、願望は
単なる意図になります。
つまりぶっちゃけて言えばどうでも良いものです。
何故なら勝つために必死だった「ババ抜き」は何処にも存在しなかったからです。
単なる意図なのだから、もう気にする事はありません。
ゲームは存在しないのだから、本当の意味で幸福と不幸が統合した一つ、
最初っから真の幸せなのであります。
神にお願いする事も、自己暗示も、洗剤意識で洗剤を買おうとかする事も、
インナーチャイルド(?)みたいのを癒す事も、必要ありません。
というよりそんなものは存在しません、全てババ抜きという
幻のゲームに勝つために作り出した分離だからです。
もはやババ抜きは観念の中でプレイされるものでなく、
ババ抜きがあなたであります。
様々な感情、思考は幻のゲームで勝つために必死になっていないでしょうか、
ゲームは存在しない事に気付けば、実は全てがあなたであり、もはや思考や感情を
眺めている者すら居なくなります。
眺めるという行為は分離であります、
分離しているから眺められるのです。
何故、眺めるのか?
まだ眺める事でひょっとしたらゲームに勝てるのではないか、という
存在しないゲームに踊らされているのです。
勝ちも無ければ負けも無く、幸福も無ければ不幸も無い、そして「ババ抜き」は
存在しない。しかし存在しない「ババ抜き」を行うための「トランプのカード」は存在する。
トランプは全てのカードゲームを包括していますが、トランプ自体には幸も不幸も無く、
全てが統合されています、それが本当のあなたであります。
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