最近、どういうわけか
「助けてください」的な内容のメールが
多いのであります。私のようなオッサンに
助けを求めている時点で
もうおしまい助けられても嬉しくないのではと思いますが、
何度か書いているように救われる者など存在しないので、
よって救う事は出来ません。
と書いてしまうと
身も蓋も無いのでもう少し書きますが、
取りあえず「救われたい」っつーのは「私だって救われるんだ」という
「希望を持ちたい」というのが大きいのではなかろうかと思います。
「希望」っつー言葉は大変にポジティブな響きを持つのですが、
ポジティブ過ぎるが故に厄介なのであります。
「希望」を持つっつー事は「絶望」を潜在的に持っているわけで、
例が良くないかもしれないですが、宇宙戦艦ヤマトが最後の希望とされたのは
地球人が絶望していたからであります。
希望を持つって事は、それが絶たれた時に必ず絶望します、
つまり
「希望を持つ」は「絶望を感じる」と同じなのです。
ちょっと誤解を招くかもしれませんが、今の時代、ネットで検索すれば
おびただしいばかりの幸せメソッドとか、潜在意識で洗剤を買おうとか、
すき家の意志で好きになろうとか、文字通り
”希望に満ち溢れた”情報が出てきますが、
これだけ
希望に満ちた世界に居るのに何故か助けてくださいと
なってしまうという事は、やはり希望と絶望は本来一体であるにも関わらず
頑なに絶望を拒否して、その結果希望を潰してしまう事が多いのでしょう。
これが嫌だとかあれを消すとかの二元論ではなく、それらを超越すれば、
それらの概念を統一しているものこそが自分であり世界である事に気付き、
全てが味方となります。
一歩前に歩くのだって空間が無きゃ歩けないし、空間を空間として認識している
何かが無ければ空間だって出てきません。つまり世界は全てが統一される事で
体現されているわけであります。そして世界が統一されている肝心要の存在は
紛れも無く真実のあなたであります。
希望を持つ必要などありません。そもそも何かが叶ったというのと希望を持つのは雲泥の差です。
希望を持ったり絶望したり一喜一憂するぐらいなら、それらを統一した方が早いのです。
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