我々の思考とか何だとかは全て心と言われるものから
発生している、と思われています。
肉体の中に心なるものが存在し、それが色々何やかんやと
騒がしい、というイメージであります。
しかし、心というものが在る、と認識できるという事は
心を認識しているものは何者か、という事になります。
というより、その何物かが在るからこそ心も在り、逆もまた然りです。
文章にするとややこしく感じますが、早い話が寝ている時は、
世界とか日本とかは
文字通り消滅しています。
夢の中で東京とか大阪に居るかもしれませんが、それらは起きた時には
消滅します。心ではここは東京とかここは地球だと認識しているはずですが、
目覚めたり起きたりするだけで、あれだけ心が確固たる認識をしていた
世界があっという間に消滅してしまいます。
しかし、それらが消滅しても確かに存在するのは
「心を認識している何者か」で
あります。その何者かは常に心と対になって存在します。
心の方は、色々と思い悩みます。
仕事行く日に朝からどしゃ降りの雨が降ってただけで思い悩みます。
夢の中で変なオッサンに追いかけられるだけで動揺します。
しかし、もう一方の「何者か」は何一つ動揺しません、
何だかややこしい流れになって来ましたが、
色々揺れ動く「心」の方に比重を置くか、「何者か」に比重を置くかだけの違いです。
大袈裟に言うと、いついかなる時でも
天国は常に流れているのですが、あまりにも
バックグラウンドに溶け込みすぎているので気付けないだけなのです。
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