昨日の補足みたいになってしまいますが、
心は決して「今」に存在する事は出来ません。
眠りに入る時も「今から眠る」瞬間はわかりません。
起きてから、「昨日は布団入って五分ぐらいで寝たのかしら」と
適当に判断するぐらいです。
つまり寝ているという判断だけで、実は寝てないかもしれないわけです。
まあそれだと
単なる寝ぼけじゃないか、と言われそうですが
心の判断とは決して「今」ではない、という事です。
という事は常日頃から心で「今」だと判断している世界は、
全て存在しないとも言えます。心が「今」を捉えられない以上、
「今、寝ました」が事実でないのと同じで、「今、この世界がある」「今、生きている」も
事実ではないのであります。
そば屋の出前で
「今、出ました」が殆どウソなのも頷けます。
今に在るとか何だとかスピ系でよく言われますけど、「今」を心で捉えようとすると
難しい、というより無理です。
「今を感じれば良いんだな」と思った時点で、既にそれは「今」ではありません。
「今」とは
常に万物のバックグラウンドとして存在するモノ、キャンバスのようなモノです。
心で「今を感じ取る」だと、どうしても時間の概念から逃れられません。
「今」を捉えられない心は「過去・今・未来」という概念でしか理解出来ないからです。
そうではなくてこのブログで言えば「過去・今・未来」という単語が書いてある
背景の白地がそれらを超越した
常にバックグラウンドとして在る「今」です。
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