何度か書いていますが、我々は我々であると認識できるモノが
あるからこそ、我々である、と言えます。
少々ややこしいですが
波は海が無ければ存在できないのと同じです。
世界が風呂桶だとして、その風呂桶を掻き回すから波があり、
そして風呂桶があるから海は存在できます。さらに言えば風呂桶は
風呂桶が置ける空間が無ければ存在できず、そして空間も
風呂桶が置けるスペースが無ければそれは空間として成り立ちません。
つまり波→海→風呂桶→空間と
どんどん上位概念ぽくなっていくのですが、
逆から辿ると空間も風呂桶が無くては存在できず、風呂桶も海が無くては存在できず、
そしてまた海も波が無くては海として成り立たないのであります。
つまり世界とか宇宙とかは
「内側と思ってたら外側、外側と思ってたら内側」なのです。だからどうしたと思われるかもしれませんが、結局全ては
起こるべくして
起こるのであります。
これは運命論とは違います。風呂桶がある以上、波は必ず
起きてしまうのです。
そして風呂桶やら波やらは、「私」(自我を超えた私)が在るからこそ、
出てくれるのであります。
なので「波が起きるのは嫌だわ」ではなく「波を起こす事が出来てしまう」のです。
全ては正しく調和されているのであります、何故なら前述のように波が起きるからこそ
海は海として存在できるからです。どちらが欠けても成り立ちません。
ネガティブは嫌だ、じゃなくてネガティブになれる、
なれてしまう、という言い方が
正しいのであります。
ネガティブは敵では無いし、そしてまたポジティブも
味方ではありません。そこにはもう敵も味方もありません、調和の取れた静寂があるだけであり、
その静寂こそが「私」です。
簡単に言えば、少し荒っぽい例えですがあらゆる思考、感情、概念、
そして周りの街並みやら人々やら動物やらを「雑音」とすると、
では何故それらを「雑音」と認識できるのか、それは
その背景に「静寂」が
あるからです。
それはあなたが生まれる前から、片時も離れずにずっと在ったのです。
あれ?今日は珍しく
下らないギャグが無いじゃないですか、と思ったアナタ。
このブログが存在するのはギャグがあるから存在出来るんじゃなくて
サーバーがあるから存在出来るのであります。
全ての源泉(サーバー)があれば、ギャグがあろうが無かろうがブログは
アップされてしまうのです。
つまりブログがアップされてしまう、という事は
裏を返せば源泉であるサーバーは
安定しているという証明でもあるので
「どうしてギャグが無いんだ!」とか動揺する
必要は無いって事です(まあどーしても何か一発ギャグをかませと言うなら
無理矢理捻り出しますけど)同じようにネガティブな思考や感情という「雑音」が
出てくるっつー事はその裏に流れる「静寂」は正常だという事なので、
ネガティブだろうが何だろうが、
何もかも感じきれって事ですね。
読み返してみると今日の内容って最後の一言だけで十分でしたね。
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