読者の方からメールを頂いたんですが、ある掲示板に引き寄せ(?)で
色々とゲットした人がいる。やっぱり何かコツがあるのだろうか、的な
内容でした。
どうもその掲示板に書き込みしている人は、車やら彼女やら現金やら
色々ゲットしたようで、
ぶっちゃけ羨ましい大変に素晴らしいと思います。
まあ方法とかコツっつーのは、
あると言えばあるし、無いと言えば無いですね。
またわかりにくい例えになってしまいますが、波がもっと高い波になりたい、と
思って努力しても、海面が上昇しない限り波の高さなんて知れてるんですよ。
逆に言えば海面が上昇すれば
嫌でも波は高波になります。
ではどうすれば海面が上昇してくれるのか、これは昨日と同じ話になってしまいますが
海が存在するには地球というか、世界が無くてはなりません。
そして世界が在るとはイコール私が在るという事であります。
私が在るという事は、海も波も私の一部であるという事です。
つまり
「私の外側」も無いし
「私の内側」もありません。
ここからややこしくなりますが、
内も外も無い状態になったとき、
時間は消え去り全てが同時に存在する事となります。
海から見れば波が生まれ、消えていくのは波が生まれたと同時に確定している事であり、
そこに時間はありません。
が、しかし。 自我は様々な手段で波を操ろうとします。
ある時は祈ったり、ある時はポジティブに過ごそうとしたり、ある時は瞑想したりします。
しかしそれらの目的はあくまでも
「内と外が無い状態に在る」事です。
波を操る事ではありません、操る事は出来ないのです。
恐らくここで多くの人が引っ掛かると思うんですよね、
「それでも波を動かしたい」と。
波を動かしたいっつー事は早い話が外に原因を作り、外側の世界が確固たるものと
して立ちはだかっている状態です。
この確固たる世界をどうにかしようと体当たりしているわけです。
そうではなく、内と外が無い状態に在る事で外側の世界、
すなわち様々な問題、願望を妨げている世界を無くしてしまう事であります。
かなり本題から外れましたが、コツ(?)的なものは強いて言えば
この「内も外も無い状態」にいかにスパンと入れるか、ではないかと思います。
(まあ入るっつー言い方もかなり誤解を招く表現なんですけど)
もう叶った気になれとか、馬鹿になれとかハムにお願いしろとか
でかい声で断言して忘れろ、とかは結局はこの状態に一時的にでも入る事では
ないかと感じます。
つまり極論を言えば「内も外も無くな」れば、別に神様お願いします!とかじゃなくて
エロイムエッサイム我は求め訴えたり、でも良いし、
断言せずに自信なさげにボソボソ呟いても全然良いって事なんですね。
ただこの
「何をやっても良い」というのが却って理解を難しくしてる
元凶なわけですけど。
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