「内も外も無い」とは早い話が
「線(ライン)」を引かないという事であります。
簡単な例をあげますと、「私は痩せているから太っている人では無い」と
「痩せ」と「デブ」に線を引きます。
これで「痩せ」は私であり「デブ」は私では無い、となりました。
しかし「痩せ」の中にも様々なタイプがあります。
ガリガリだったり、スマートだったり、ひょろ長いとか色々ありますが、
「私はスマートである」と思えば「スマート」と「ガリガリ」「ひょろ長」に
明確なラインを引き、
「このラインからこっちが私である」と認識します。
これは痩せとかデブとか、ブスとか美形とか、馬鹿とか賢いとかだけではなく、
「私は有機物なので無機物ではない」というように大きなグループにラインを引いて
区別する場合もあります。
目の前に机があれば「目の前にあるのは無機物であり、私はこっち側(目の内側?)で
ある」とやはり明確なラインが引かれます。
基本的に、無意識に引いたラインに対し、自分が属していると思われる側に
含まれるモノは好ましく感じる傾向があります。
反対に
属していないものが侵入してくると不快感や不安を感じます。「イケメン男子の会」に私が入っていっても違和感なく受け入れてくれるでしょうが、
不細工な男性読者の皆さんが入っていくと微妙な空気になるのと同じです(?)
まあそれは冗談として、例えば人間社会にいきなりクマが現れたら
普通は排除するか捕獲して追い出そうとします。
「我々は人間社会に属する人間である」という認識・ラインを超えて、
「人間以外のもの」であるクマが侵入してくるのは「人間側」に属すると
思っている連中には非常に不快、不安が生じてしまうからです。
まあそれだけ我々は
無意識に様々な物事、概念に対し「こっち側は私」
「向こう側は違う」とラインを引きまくっているということですね。
日常生活レベルでもそうですし、大きな視点でもやはりそうです。
で、「内も外も無い」とはこの
ラインが消失した状態でもありますから、
様々なラインに気付いていけば良いのです。
そして前述したように不快・不安とは「私のサイド」と思っているものに
「向こうのサイド」が
”入ってくる”と認識する事で生じるわけです。
「健康」側に居るはずと思っている「私」に「風邪」が侵入してくると
「私のサイドに属さない異物が入ってきた」と認識するので
苦しみが生じるのです。
という事は
ラインが消失すると、不快・不安から解放されるという事であります。
「風邪」が侵入してきても「健康」側には
誰も居ないので不快も不安も生じません。
そもそもラインが無いので「風邪」が侵入するという概念自体が消失します。
なので
「風邪」を”ガマンしろ”という意味合いではありません。こうして健康でもなく、風邪でもない
「どこにも属さない何か」は
不快や不安から脱出しました、というより最初からそんなもの無かった事に
気付きました、おめでとうございます。
PR