最近、どういうわけかメールが大量に来て、私自身もヒマだったので
珍しく返事を書いたりして少々更新に間が空いてしまいました。
まあ特に更新を心待ちにしている人も居ないでしょうし、これからもマイペースで行きます。
で、
「ごく普通の日常生活を送っていて、トントン拍子に話が進む人と、
ごく普通の日常生活を送っていてトントン拍子に話が進まない人とは
どこが違うのでしょうか?」というメールを頂きました。
どこが違うのでしょうか?と言われても特にありませんが、
強いて言えば
祖父やオヤジのコネあまり世界に執着しない事でしょうか。
少し話が飛びますが、自我にとっては普段の日常生活は「起きている」状態と
認識していますが、実際は寝ている、あるいは
一種の催眠状態にあるとも言えます。
これは「夢」で例えるとわかりやすいです
(多分)夢を見ている時も、夢の中では「自分は起きており」「様々な事を考えている」はずです。
夢の中の登場人物も、あたかもそれぞれが独自の意志を持って活動しているように
感じているはずです。
これと同じことが自我にとって「起きている」状態にもそのまま当てはまります。
自分の住んでいる場所、職場、そして世間で色々な事が起こっており、
多くの人々が生活しています。
そしてそれらは全て独立した出来事、人物であると感じているはずです。
しかし、夢の世界はどこまで行っても実体の無い夢であると同じように、
自我にとっての世界も実体の無い世界であります。
それがどんなに実体を伴っているように見えても、です。
なので全てが実体の無いものなら特に執着もしません。
あるのは楽しみであり、喜びであり、幸福感しかありません。
夢の中で突拍子も無い事が起こるのと同じで、自我にとってのこの世界で
突拍子も無い事が起きても良いのであります。
しかし何故か自我は理屈が通らないと納得しないので、ここでまた
分離が始まるのであります。
もしかしたら夢の中でも「理屈が通らない」と悩んだ夢を見たことがあるかもしれません。
しかしそれは夢であり、悩んでいるあなたは何処にもいません。
悩むような事柄もありません。もっと言えば、何もありません。
しかし確実に
「存在する何か」はあるはずです。
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