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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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すき家の陰謀に巻き込まれたせいで忙しい日々が続いているのですが、
皆さんも年末は忙しい事と思います。
こんなブログ読んでないで大掃除でもしましょう。

「運動と時間と変化」と「自我が願望の実現を見えなくしている」について
メールを頂き、少し時間が出来たので書こうと思います。

いきなり言っちゃうと、運動も時間も変化もまとめて言えば自我が勝手に
想定しているだけで、実際は無いものです。「自我が見えないようにしている」と
いうのも、あくまで言葉にするとそうなるもので、実際に部屋の角に隠しているとか
そういうわけではありません。

これだけではイマイチだと思うので少し補足すると、
まず「変化」や「見えないものを見たい」というのはある種の制御したい、
操作したいという自我の思いがあります。

これはこれでしょうがないのですが、しかし心臓の鼓動を変化させたり
胃の消化スピードを超速にして食べたら即下痢、みたいにしようとは
普通は思わないと思います。

自我は「絶対に(自我の)支配下における何かがあるはずだ」と
思いたがるのですが、実は無いんですよね。
制御したいという思いは、心臓を自由に止めたいとか胃で消化液を
出さないようにしたいとか言ってるのと同じです。

前述したように、普通はそんな内臓の動きの操作なんてやろうとも
思いません。やろうとするのは人間関係の事とか、後はせいぜい金の事
でしょう。つまりそれだけ自我の制御欲求(?)みたいなものは非常に
狭い範囲でしか無いのです。
で、その狭い範囲でああでもないこうでもないと苦しむわけです。

狭い範囲でなおかつ自我にとっては「他人」や「自分では無い物質(お金とか)」を
操ろうってんだからこれは苦しいに決まってるんですよ、
というより苦しいだけでしょう。

普段は自分の身体の働きには無頓着なくせに、何故せせこましい認識の中では
苦しみ続けるのでしょうか。
それは自我にとっては自由意志を持った己こそ世界の支配者であるという
思い込みがあるからです。

自我は自由意志で制御できない働き(内蔵の仕組みとか)は完全に切り捨ててしまって
います。というより最初から無かった事になっているのが殆どです。
「私の身体」とか言ってるくせに、内心では制御できないポンコツ乗用車としか
感じていません。

制御しようがないものには目もくれず、狭い範囲狭い範囲へと逃避して、
何とかイエスマンを作ろうと模索するのが自我の働きです。

この時点で身体と、身体の仕組みは自我と分離してしまいます。
制御できないものは全て自我にとって敵なのです、こうして戦いが始まるのであります。

この不毛な戦いを終わらせるには、制御できないものがある事を認めてしまえば良いのです。
自由意志なんてどこにも無いし、制御できるものなどありません。
制御しているように見えるだけです。

そもそも分離が無ければ、制御も生まれません。
貧乏は貧乏を制御し難い敵と感じるから敵になるわけです、人間関係も同じです。

そして分離が無くなった所で、貧乏は貧乏であるし、モテない奴はモテない奴です。
つまり何も変わりません。しかし一つだけはっきりとしているのは、分離していないので
貧乏を貧乏と感じる対象が消滅するという事であります。

ここが肝心なんですけど、右足が右足を踏めなかったり、眼球が眼球を見れないのと
同じで、対象が無くなるって事は、もう今まで苦しんでたものが無くなったって事なんですよ。

つまり皮肉にも(?)貧乏が貧乏であるが故に、貧乏から解放されてしまうのであります。
もう貧乏では無くなったので、もしかしたらお金が入ってくるかもしれません。
モテない人は、愛人の一人二人ぐらいは出来るかもしれません。

しかしもはや金持ちでもないし、モテる人でもありません。
貧乏から金持ちになったのでありません、自我からすればこれは変化ではないか、と
なるでしょうが、眼球自身は左右に動く自らの動きを見る事は出来ません。

やはり眼球はどこまで行っても眼球なのと同じです、
苦しむ対象が無いのと同じで、楽しむ対象も無いのであります。

もちろん嬉しい、楽しい、という感情などは出てくるでしょう。
不感症の人間味が無い変な奴になってしまうわけではありません。
しかしそれは脚気の検査で膝を叩かれたら膝が挙がるのと同じ
単なるリアクションです。自由意志で喜んだり楽しんだりしているのではありません。

スピ系のマスターと言われるオッサンオバハン連中がやたらと愛だ何だを連発するのは、
分離が無くなるとリアクションとしての反応が愛(何か変な言葉だ)なのであって
無理矢理愛を感じようとしているわけでは無いのですね。

無理矢理感じようとすれば、そりゃ「愛を感じられません・・・」とかなるに決まってます。
愛とは感じるのではなく、重力と同じでそこにあるものなのです。



なんか小難しい話になってしまいましたが、取りあえずチンコをしごくと気持ちよくなる
程度だと思ってれば良いんじゃないでしょうか。

気持ちよさとは感じるものではなく、そこにあるものなのです。
この事は男性諸氏には深く同意して頂けるものと確信しております。

何か最近女性読者ぶっちぎりの記事が続いているような気がしますが、
その辺は気にせずに行きたいと思います。
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