覚醒体験とか至高体験とかよくありますが、これも昨日の話の流れで行くと、
体験者(経験者)の立場からだと結局は足かせみたいになると感じます。
こういった体験は私自身も
かなり前の記事とかでちらっと書いてますし、これ以外にも
何だかすごい体感と感動を伴う体験みたいのはある事はありますが、
こういった体験ってスピ系に興味のある人からすると「すごい、素晴らしい」って
なるかもしれませんが、まるでそういうのに興味の無い私の彼女みたいな人から
すると、
「モルダー、あなた疲れてるのよ」みたいな一言で終わりだと思います。
数年前、至高体験ぽいのを感じた後に彼女にその事を話したら、
彼女は黙って精神科の病院を検索し始めました
(マジで)ここで私が「病気なんかじゃない、これは人類の新たなステージへのアセンションで
何たらかんたら」と言った所で興味の無い人からすれば
キ〇ガイの戯言なわけで、
やはり「経験者」は「経験」によって傷付けられるのです。(このブログなんて全部戯言だろ!
という的確なツッコミはこの際無視します)
まあ私の場合は別に覚醒でも何でもなく
リアルで病気だったか、
単なる飲み過ぎだったんでしょう。
どんな経験にせよ経験を特別視するのは、経験と経験者という分離を起こすので
変にそういったものを求めるのは、ある意味デンジャラスなのではないかとも思います。
結局どんなに素晴らしいビジョン、感動が湧き上がっても、
それを見ているという事は
既に分離なんですよね。
私の場合は
「あるべきものが、やっぱりそこにある」というのを実感した時が
ある意味一番感動したんですが、気付きというものは大変にシンプルなのかもしれません。
まあ偉そうに言えた義理じゃないですが。
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