超常現象は存在するのか否かというメールを頂きましたが、
超常現象が存在するかどうか以前に、超常現象が起こる条件と
いうものが存在します。
それは
主体と客体が無ければならないという事です、
つまり見るものと見られるものですね。
見るものと見られるものが無いと、超常現象に限らずあらゆる現象は
現象として出てこれません。話が少々飛びますが自我、思考、感情、
そして自由意志も全て主体と客体の狭間に存在するかのように見える幻です。
本来の自分とは
「主体と客体を構成する一つ」であります。
見ているもの、そして見られているものを現象として創造しているものが自分です。
物質として見えるもの以外でも、思考や感情も主体と客体が無ければ出てきません。
結局全ては主体と客体という分離ではなく、それらを構成している一部でしか無いのです。
主体と客体の統一に目覚めるとどうなるかっつーと、別に変身したりするわけでもなく、
何も変わりません。そもそも何かに「なる」、変身するという現象自体が主体と客体の
分離によるものです。そうではなく月も太陽も空も風も海も、大袈裟に言えば宇宙も、
全てが一つであり、カッコ良く言えば
「何者でもないが何者でもある」状態であります。
後は全てが勝手に動きます。自我から見れば自分が選び、
自分が行動していると感じるでしょう。
しかしそれは魚が自分の意志で泳いでいると感じているだけで、
結局は海に泳がされているのに気付いていないだけです。
では我々は大海に漂う木片に過ぎないのでしょうか?
違います、もはや漂うものなどありません。
主体と客体が消滅した時、全ては外側ではなく内側だったと気付くのであります。
つまり漂うもの自体が「いない」のであります。
楳図かずおの漫画
「14歳」のラストで主人公が
「僕たちの宇宙は虫だった!」と
気付く場面がありますが、まさにあなたは虫であり全ては虫の内側に在るのです。
そのためには自我が演出する主体と客体というまやかしを見抜かなければなりません。
今回は話が飛びまくって超常現象云々が明後日の方向にすっ飛んでしまいましたが、
結局の所、超常現象は主体と客体という
「まぼろし製造機」の中でしか存在できないので、
あると言えばあるし、無いと言えば無いのです。
どちらも正しいという事ですね。
ちなみに今回ちらっと触れた楳図先生の
「14歳」ですが、ササミから
ニワトリの顔したオッサンが生まれたと思ったら大統領の子供の名前が
アメリカだったり、クローン人間に殺し合いのプロレスさせたり、外宇宙から来た宇宙人が
地球人を
強姦しまくったり、世界中の子供たちが恐竜みたいな宇宙船に乗って旅立ったと
思いきや人類滅亡後の地球でゴキブリが会話してたりと、
何を言ってるのかサッパリわからないと思いますが、本当にそんな漫画なんで
興味のある方は読んでみてください。
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