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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「思考が止まって自我から解放されたっぽいのに元に戻ってしまう」とか
「一難去ってまた一難という感じで苦しみが終わらない」という内容のメールが
多いのですが、結論としては「じゃあそういう事を考えるの止めれば?」となるのですが、
それが出来たら苦労しねーよと言われると思うので、今回は逆転の発想で
あえて思考を用いて思考を止める方法を書いてみます。

思考も含めて我々が知覚しているものは、全て一通りの辻褄が合っています。
「苦しい」という思考は、まず思考が湧き、それに対し「この思考は”苦しい”だ」と
辻褄を合わせる事で、初めて「苦しい」のであります。

結局、全ては辻褄を合わせる事で知覚しているとも言えますが、
逆に考えれば辻褄が合わなければ知覚出来ない、とも言えます。

なので思考を強制的に「止める」には湧いてきた思考に対し思考で返す、
辻褄の合わない状態にしてやれば良いのであります。

どういう事かと言いますと「苦しいわ、苦しいわ、何だかとっても、苦しいわ」という
思考が出てきたら、その思考に対し「御住所は?」とか「好きな異性のタイプは?」とか
「AKBについて一言」とか「ベンチプレス何キロ挙がりますか」とか辻褄の合わない「質問」を
投げかければ良いのです。

で、これに対し即答は出来ないと思います。
即答したらそれはそれですげえと思いますが、それは置いといて
即答出来ずに生じる瞬間の「間」が本来の自分を垣間見る瞬間です。

この瞬間だけは、苦しんでもいないし全てから解放されているはずです。
思考・知覚は単なる自我の辻褄合わせに過ぎない、と見破った時に、
苦しみは最初から無かった事を知るでしょう。

そして「私」という存在すら、単なる辻褄を合わせるために自我がでっちあげた
文字通りの虚像である事を知ります。
まさに「私は何処にも居ない」のであります。

以前も書きましたが、何かを求めて行う行為は絶対に分離からは逃れられません。
が、今回の記事は思考をあえて意図的に利用する事で、
強制的に分離する以前の「本来の私」に一瞬でも戻ろうというわけです。

今回の話のもう一つのポイントは、辻褄が合わなければ思考や知覚出来ない、
辻褄が合わないその瞬間こそ本来の自分が顔を出す、という事は
「本来の自分とは?」という疑問に辻褄を合わせた答えを思考で導く事は
殆ど不可能
という事の証明でもあるのです。






これで読者の皆さんもブログを開設して適当な事書いて「意味がわからないよ!」という
批判が来たら「辻褄が合わない事がスピ系の極意なんだよ!」という
言い逃れが出来るようになりましたね、おめでとうございます(?)
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