我々は起きている時に様々な思考や感情を認識し、
様々な人と話したりしていますが、夢の中でも同じ事をしています。
つまり両者は同じであります。
熟睡の状態がベースとしてあり、起きている時も夢の中でも、
全てはその上に描かれた漫画のようなものです。
もっと言えば起きているとか夢を見ていたとかも後付けですから、
実際は起きているもクソも無いのですが。
で、全ては漫画でも映画でも何でも良いのですが、
宇宙のパワーを身に付けたとか神と会話したとか波動の法則を
発見したとかは、漫画のキャラがそう言ってるだけで
ベースである「私」、簡単に言えば漫画が書かれている原稿用紙には
関係の無い話です。つまり
全てのものは存在しないし、一瞬で消え去る
儚い幻です。宇宙最強のフリーザも、原稿を燃やしてしまえば
もう何処にも居ないのであります。
「そうは言ってもどうにかして現実を変えたいでござる」と
思うかもしれません。それならば自分が全てのベースであり、
何もかも一瞬で消し去り、あるいは生み出している源である事を
認識する事です。
冗談抜きであなたは全てのベースです。
今から寝れば、夢の中でも確固たる世界があり、そこで暮らす人々と
接するでしょう、そして目が覚めればその世界は何もかも一瞬で消えます。
世界も、人々も、その世界での概念も、その世界で自我が感じ、考えた事も、
全てがです。例えその世界で
「神を見た」としても、その神すら消し飛びます。フリーザは惑星一つを消し去りましたが、あなたは惑星はおろか宇宙も、
そして神も悪魔も全てを一撃で吹っ飛ばす存在だったのであります。
それがわかれば、あとはもう漫画の中に居ながらにして
漫画を楽しむだけです。変えるものなど無いのです、
たとえ「変わった」ように見えても自我がそう見てるだけで、
原稿用紙が変わる必要ありません。
昔の人は
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」という
大変に含蓄のある言葉を残してくれましたが、まさにこれであります。
漫画を読んでいる時に、漫画が描かれている原稿用紙は目の前にあるのに
見ていないのと同じです。見ていませんが、絶対に視界に入っているはず
なのです。カッコつけて言うなら
「私は何処にも居ないが、何処にでも居る」のです。
カッコつけといて何ですが、あまり坂田師匠関係無かったですね。
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