以前も書きましたけど、お金の価値ってのはインフレかデフレかで変動するもので、
本質的には
お金そのものに価値は無いです。ハイパーインフレが起きてすき家の牛丼が
3億円とかになったら、1万円札で鼻かんだりケツ拭いたりしても何とも思わないかも
しれませんが、デフレなら1万円がやたらと尊いモノに見えるかもしれません。
スピ系っぽく言えば、お金自体存在しないとも言えます。
ある時は鼻紙に、ある時は輝いて見える紙切れに何の価値があるのでしょうか。
これと同じで上手い下手とか、良い悪いとか、美しいとか醜いも
実は存在しません。そして自由意志と感じるものは、
本来存在しない概念に対する
反応でしかないものです。眩しければ目を瞑る、熱いものに触れれば手を引っ込める、
若い女を見れば勃起するのと同じものです。
もっと突き詰めれば私という存在も、周りの環境その他で決定されるもので
「私」という感覚、すなわち
自我も「反応」に過ぎないのです。
全ては単なる反応なのです。
なので、これをやったら
罰が当たるとか呪われるとか、前世のカルマが
どうのこうのとかどうでも良い事です。
「思考」も反応に過ぎません、全ては反応に過ぎないのだから
反応に過剰に反応(?)する必要はありません。
それは熱いものに触れて手を引っ込めて「何故俺は手を引っ込めたのか」とか
悩んでるようなものです。
「自我」は自分が存在する、と確信したいが故に「反応」でしか無い物を
過剰に評価する傾向があります。前述したように何の価値も無いお金というものを、
反応によって何かとてつもなく貴重なモノのように感じるのもそういう事です。
全ては反応でしか無いと気付いた時、自我は消え真の世界が顔を出すでしょう。
さあ今すぐ1万円札を破り、祟りだ何だを恐れず四谷怪談で有名な
お岩さんの墓に蹴りでも入れに行きましょう、私はそんな事やりませんけど。
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