人間てのは面白いもんで、
自分の選択した事が裏目に出ると罪悪感を感じたりするんですよね。それもこれも自由意志があるという間違った思い込みによるものです。
AとBのどちらかを選べと言われて、自由意志に基づいて選択したのに外れだった、
自由意志に基づいて努力してきたのに、私は貧乏で隣の家族は金持ちで幸せそうだ、
自由意志に基づいてネットを検索して変なブログ見つけて読んでみたけど、
何か理解できなくてちょっとムカつく。
これらを非常に大雑把に言うと
「不幸」な状態にあると言えます。
で、この不幸の源は「自由意志に基づいて選択してきた」という思い込みなのですから、
自由意志が無い事に気付けば不幸でなくなってしまう、というより
不幸になれないんですよ。
この
不幸になれないってのがポイントで、あらゆる不幸は「選択ミス」によって
起きたのだという、一見すると事実に見える事が全て嘘だったとわかるわけです。
なので逆説的になりますが
「何をやっても良い」のですよ。
よくあるのが
「私はこれこれこのような事をやってきたのですが、それは幻に
惑わされてるだけで本来の私はうんたらかんたら」というものですが、
これも「選択ミス」を恐れるが故の「不幸」を勝手に作ってる状態です。
選択ミス自体が無い、そもそも
選択する意志が無い、という事は
もう罪悪感も何も感じなくて良いのであります。
殆どの罪悪感や不幸は、結局は「自分は道を誤った」「努力の方向を間違えた」という
選択ミス(という概念)から来ているからです。
これでもう
願望実現するために云々というクソゲーから降りる事が出来ました。
後はやりたい事をやり、やりたくない事はやらずに、例えそれが「選択の連続」に
見えるように感じても、本質的には選択しているのではなく、ただ単に流れに
乗っているだけであり、その内自我を越えた高次元(?)に触れる事でしょう。
結局の所、本来の源泉、無限に気付けないのは、
無いはずの自由意志とそれに伴う
妙な罪悪感や苦悩に捉われた自我に縛られているからです。
まとめると
「人生ゲームは選択の連続」ではなく、
「選択の連続と思ってるから
人生ゲームが出てくる」のであります。
「そんなのまとめになってないじゃないか、俺は理解出来ない!」と
なっても、別にその事に罪悪感や焦燥感や不幸を感じる必要はありませんし、
「そのような反応」が出た責任は誰にもありません。
殆ど条件反射的に「責任者」を探していませんか?
わざわざ「責任者」を探さなくて良いんですよ、だって居ないんだから。
居ないのに「責任者出て来い」って延々怒鳴ってたら、そりゃ不幸にもなりますよね。
私なんかガキの頃から責任という言葉に最も無縁な男でしたから、
皆さんもそれで良いんです。
あまりにも度が過ぎてオヤジによく殴られましたけど、それでも立派な大人(?)に
なれたので良いのです、多分。
PR