私は将棋に関しては駒の動かし方を知ってる程度のヘボですが、
この前行われたプロ棋士とコンピューターの試合は観戦してました。
結果はプロ棋士が負けてしまったのですが、勝敗云々は時の運なんで
置いといて、結局コンピューターの強さって究極的には
「ゲームの中に居ながらゲームに参加していない」事だと思うんですよね。
強引にスピ系の話に持っていくとですね、
将棋ってゲームは何処にあるのかっていうと、
何処にも無いんですよね。
あるのは盤と駒だけで、将棋って概念を盤を挟んだ両者が理解してないと
将棋ってゲームが存在出来ないんですよね。
これはトランプでも同じで、ババ抜きやポーカーも、トランプの中に
見出だす事は出来ません。トランプは単なる絵柄の書いてあるカードです。
ババ引いてショックなのはババ抜きに参加してるからショックなわけで、
ババ抜きじゃなかったら何でもないですよね。
コンピューター将棋も形勢判断とかは数値化してますけど、
あくまでも数値を眺めてやれる事をやってるだけで、人間のように
負けたら恥かもとか、勝ったら嬉しいとか無いですよね。
以前、
「願望が叶っても喜ぶ自我は居ない」的な事を書いたと
思うんですが、言葉で言うなら上記のような感じが近いです。
つまり参加していないので起こる事柄に自我が反応しない、という事です。
何かをしたいとか思い、行動とかするのはぶっちゃけゲームです。
ゲームの中には居るのです、しかし参加はしません。参加していないので、
非常に開けっ放しというか、何が起きても
受け入れる体勢です。ババ抜きに参加していたらババが来るのは
「不幸」な事です。しかし参加していなければ別に不幸ではありません。
ややこしい言い方ですが、願望を持つのは全然結構なのです、
しかし
「実現ゲーム」に参加しないという事です。
参加したら最後、自我の判断でどうでも良い事まで「ゲーム」に
関連付けて勝手に不幸になっていきます。
「実現ゲーム」は勝ったように見えても最終的に必ず負けます、
というより
絶対に勝てません。そうしないと自我は次のゲームに参加出来ないからです。
「毎日ポジティブで愛を感じてどうのこうの」で、家出たら隣の
お姉さんが笑顔で挨拶してきたら「愛の効果があった」で、
家出ていきなり猫が車に轢かれて潰れてたら「愛の感じ方がマズイ」に
なるんでしょうか、そんな馬鹿な話あるわけないでしょう。
ゲームに参加するからこんな馬鹿な話が出てくるのです。
誤解しないで頂きたいのは「毎日ポジティブ」「愛を感じる」が
間違っているという事ではないのです、勝てないゲームに
勝つためにそれらを取り入れるのはおかしいという事です。
つまり前から書いてますが
「やりたい事をやれば良い」んですよ。
でもそれはゲームに勝つためではありません。
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